石橋財団コレクション選
特集コーナー展示
青木繁、坂本繁二郎、古賀春江とその時代
久留米をめぐる画家たち
2020年11月3日〜21年1月24日
アーティゾン美術館
坂本繁二郎(1882〜1969)
坂本は、青木繁と久留米高等小学校の同級生で、ともに洋画家・森三美の画塾に通ったライバル関係。1902年、青木の上達に驚いた坂本は、自らも上京する。1911年、青木が早世。
1912年、牛を描いた《うすれ日》を第6回文展に出品、夏目漱石に注目され、出世作となる。
坂本繁二郎
《魚を持ってきた海女》
1913年、117.0×80.6cm
アーティゾン美術館
本作はその翌年1913年の作。外房旅行で着想を得たと考えられている。
一仕事を終えた海女さんが一服中。白のたらい。地面に置いたカゴには収穫物。筆触を残す印象派的な表現。
松田諦昌(1886〜1961)
久留米生まれの松田は、青木や坂本の4歳年下。久留米高等小学校時代に洋画家・森三美から手ほどきを受ける。
1921年の二科会出品以降は中央画壇から遠のき、地元・久留米で活動するとともに、後進の育成に努める。
古賀春江(1895〜1933)
久留米生まれの古賀は、15歳の頃より、9歳年上の松田に絵を習い始める。以降、古賀と松田の関係は、師弟関係であり、かつ、親しい友人関係となる。
1922年夏、古賀が松田を誘って、福岡県宗像市の鐘崎に写生旅行に行く。
鐘崎は、海女発祥の地として知られる漁村。
松田は、海女を題材とした作品を数点描く。そのうちの1点。
松田諦昌
《コンポジション》
1922年、61.0×71.2cm
アーティゾン美術館
古賀も、その翌年、鐘崎で得た着想をもとに海女を題材とした作品を描く。
古賀春江
《海女》
1923年、116.0×91.0cm
アーティゾン美術館
当時の海女はこんな格好/イメージだったのか?
(現在の鐘崎の海士漁)
2〜4月:ワカメ・メカブ
4〜6月:ウニ
6〜9月:アワビ・サザエ
12月 :ナマコ
10〜11月、1月:休漁
また、鐘崎では、滞在先の油屋旅館の二階から景色を写生する。
松田諦昌(上)/古賀春江(下)のスケッチブック
1922年
窓の外のみを描く松田と、窓枠と内側の室内も描く古賀。
そして、古賀は、その地にてその景色を油彩画として制作し、同年の二科会に《埋葬》(総本山知恩院蔵)とともに出品し、最高賞(二科賞)を受賞、中央画壇にデビューする。
古賀春江
《二階より》
1922年、61.0×73.5cm
アーティゾン美術館
以降の古賀作品。
古賀春江
《遊園地》
1926年、水彩、47.1×61.0cm
アーティゾン美術館
パウル・クレーに触発された時期の童画的な画風の作品。
古賀春江
《素朴な月夜》
1929年、116.5×91.0cm
アーティゾン美術館
代表作《海》(東京国立近代美術館蔵)と同年の制作で、ともにその年の二科展に出品している。
この時点で古賀はまだ30代前半、模索の時期とはいえ、西洋美術の影響をもろに受けすぎ、画風変えすぎ、との印象を勝手に持っている。