東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

プラド美術館展2018の16世紀

2018年03月17日 | プラド美術館展2018
プラド美術館展
ベラスケスと絵画の栄光
2018年2月24日〜5月27日
国立西洋美術館
 
 

   本展の出品数は、絵画61点、書籍9点。


   一番の目玉、ベラスケス作品7点は、大型サイズの重要作品揃いで、見応えたっぷりである。ただし、ベラスケス展ではない。
 
   本展は、17世紀スペインのアートシーン、特にベラスケスが宮廷画家兼官吏として仕えたフェリペ4世の宮廷のアートシーンに焦点があてられる。
 
 
   過去のプラド美術館展とは異なって、エル・グレコなど16世紀やそれ以前の絵画はほぼ取り上げられないし、ゴヤやフォルトゥーニなど18世紀以降の絵画は全く取り上げられない。
 
   フェリペ4世による各種の絵画装飾プロジェクトのために制作したスペイン国内の画家、イタリアやフランドルの画家の絵画、17世紀の初頭から第3四半世紀に制作された絵画が主に紹介される。
 
   このことにより、本展は、これまでのプラド美術館展の華やかな雰囲気とはちょっと違う、何かずっしりとしたものを感じさせる。
 
 
   そこから外れて、16世紀制作の絵画も6点出品されている。
   以下、そのうち5点を確認する。
 
 
 
   エル・グレコと工房
《聖顔》
1586-95年
   
   ギリシャ出身のエル・グレコは、イタリアを経て、スペインに活躍の場を求める。当時の国王フェリペ2世からの注文によりエル・エスコリアル修道院宮殿の装飾のための作品を制作するが、受け取りを拒否される。これにより、期待していた更なる注文の獲得、将来の宮廷画家の道が閉ざされ、以降はトレドの画家として活動することとなる。
 
   プラド美術館は、1819年の開館時にはエル・グレコ作品を1点も所蔵していなかったらしい。そんなエル・グレコだから、本展に似合わないと思うが、サービス出品なのだろうか、ベラスケスにエル・グレコを関連づけたいのだろうか。
 
 
 
ティツィアーノ
《音楽にくつろぐヴィーナス》
1550年頃
 
   本作は人気を博したらしく複数のバージョンが現存し、プラド美術館も本作の他にもう1バージョンを所蔵する。それらバージョンのなかでは、本作が最も制作時期の早い作品と考えられている。
 
   カール5世やフェリペ2世は、ティツィアーノのパトロンなので、本作もその頃に取得したのかと思ったら、フェリペ4世時代の取得であった。
 
   フェリペ4世は、本展ではあまり触れられていないようだが、いにしえの作品についても積極的な収集に努めている。
   本作は、イングランド王チャールズ1世が所蔵していたが、1649年の死去後の財産の売り立て時に、フェリペ4世が取得したもの。その機会では、他にも、ティツィアーノの別作品とかラファエロとかデューラーとかを取得したらしい。
   なお、ロンドンのロイヤル・アカデミーにて、チャールズ1世のコレクションだった作品を100点以上集めた展覧会が開催中(〜4/15)、プラド美術館も何点か出品しているようだ。
 
 
 
ルカ・カンビアーゾに帰属
《ルクレティアの死》
16世紀第3四半期
 
   ルカ・カンビアーゾ(1527-85)は、イタリア・ジェノヴァ派の画家。最晩年の1583年にフェリペ2世の招聘に応じてスペインへ渡り、エル・エスコリアル修道院聖堂の装飾に携わる。その地で死去。
 
   スペインは、当時「ヨーロッパで女性の裸体描写が最も制限されていた地域」かつ「最も重要な裸体画群を擁する場所」であった。この解決法として、「秘密の部屋」、立ち入り可能な者を厳しく制限した部屋に裸体画コレクションをまとめて展示する方式が取られる。
   マドリードのアルカサル(旧王宮)では、「ティツィアーノの間(丸天井の間)」に、1686年の記録で40点近い裸体画が集められ、その半数はティツィアーノ作とされた作品だったという。そのなかには、本作品、ティツィアーノの前述《音楽にくつろぐヴィーナス》や《アンドロス島のバッカス祭》、デューラーの《アダム》《イヴ》、ルーベンスの《三美神》や本展出品作《アンドロメダを救うペルセウス》などがあったという。
   18世紀以降も立ち入り制限の部屋方式は継続し、プラド美術館でも1838年まで「特別室」なるものがあったという。



アントニス・モル
《フアナ・デ・アウストリア》
1560年
 
   アントニス・モル(1516/21-76)はネーデルラント出身で国際的に活動した肖像画家。スペインに2度滞在し、フェリペ2世の宮廷画家に任命されている。
 
   フアナ・デ・アウストリア(1535-73)は、カール5世の娘で、フェリペ2世の妹。1552年にポルトガル王太子と結婚。1554年に息子が誕生するが、誕生の18日前に王太子は死去、彼女は未亡人となりスペインに帰国、息子と二度と会うことはなく、送られる肖像画でその成長を見守ることとなる。
 
 
 
アロンソ・サンチェス・コエーリョ
《王女イサベル・クララ・エウへニアとマグダレーナ・ルイス》
1585-88年
 
   アロンソ・サンチェス・コエーリョ(1531/32-88)は、スペイン・バレンシア生まれ。幼少期にリスボンに移住し、画家としてポルトガル王太子夫妻に仕えるようになる。王太子が死去し、未亡人フアナがスペインに帰国すると、彼女の息子の肖像画を携えてスペイン宮廷に赴く。そのままポルトガルには戻らず、宮廷で肖像画制作に励み、フェリペ2世の宮廷画家に任命される。
 
   イサベル・クララ・エウへニア(1566-1633)は、フェリペ2世と3番目の妻の娘。オーストリア大公アルブレヒト(ルドルフ2世の弟)と結婚し、夫と共同(夫の死去後は単独)でネーデルラントを統治する。
 
   マグダレーナ・ルイスは、王女たちに仕えた女性。
 
 
 
   この5点だけでも結構なボリュームとなってしまった。
 


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