プラド美術館展
ベラスケスと絵画の栄光
2018年2月24日〜5月27日
国立西洋美術館
本展出品作
フアン・カレーニョ・デ・ミランダ
《甲冑姿のカルロス2世》
1681年
232×125.5cm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/85/b54ee6f382fd7dfcabe889ca1c9d78b9.jpg)
カレーニョ・デ・ミランダは、1614年にスペイン北部のアビレス生まれる。マドリードで活動、1660年頃から宮廷周辺の人々をモデルに肖像画制作も精力的に手がけ、1669年に王付き画家、1671年に宮廷画家に登用される。
当時の国王は、カルロス2世。
先王フェリペ4世と二番目の妻マリアナ・デ・アウストリアの第5子。1661年、後継ぎの王子フェリペ・プロスペロが4歳で死去したその5日後に誕生した「奇蹟の子」。
しかしながら、「奇蹟の子」は、すぐに「呪いをかけられた子」と言われるようになる。
「3歳になってもまだ乳を飲み、話せるようになったのは4歳、歩行できたのは8歳になってから」、「フェリペ4世は我が子を恥じ、なるべく人目に触れないようにして、どうしても人前に出さなければならないときは、ベールを被せたことすらあった」。
1665年のフェリペ4世死去により、唯一の直系男子として、4歳で即位する。
そんなカルロス2世の肖像画を、ベラスケス死去の10年ほど後に宮廷画家となったカレーニョ・デ・ミランダが描いている。プラド美術館も数点所蔵している。
本展出品作は、1681年の制作とあるが、「1679年にカレーニョ・デ・ミランダによって描かれ、フランス王ルイ14世の姪マリア・ルイサ・デ・オルレアンの結婚に向けて交渉中にフランスに贈られた肖像画のレプリカ」であるとのことなので、カルロス2世が18歳頃の肖像画ということになる。
カレーニョ・デ・ミランダによる他のプラド美術館所蔵の肖像画。
《カルロス2世》
1675年頃、201×141cm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/92/661fd7e3361d22213ef9935cab6dda86.jpg)
カルロス2世14歳頃の肖像画。中野京子氏が『怖い絵2』で取り上げた作品。「画家の絵筆による粉飾でも隠しおおせない、心身の重い病」と述べられる。
2002年のプラド美術館展で来日。
《カルロス2世》
1680年頃、75×60cm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/58/d1b2da686b6f281a2a126e616b070747.jpg)
1680年頃だから、カルロス2世20歳頃の肖像画。
カルロス2世の母親(フェリペ4世の二番目の妻)の肖像画も制作。
《王妃マリアナ・デ・アウストリア》
1670年頃、211×125cm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d0/46bcc92e7c3fd55201244c33df30664e.jpg)
さらにカレーニョ・デ・ミランダの作品を確認していくと、衝撃的な肖像画の存在を知る。
《着衣のエウヘニア・マルティーネス・バリェーホ》
1680年頃、165×107cm
《裸のエウヘニア・マルティーネス・バリェーホ》
1680年頃、165×108cm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/e2/78d27aab263421eeafca7f635be6150c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/bb/d5cf5d5413d6276eb815d6cb72ab39fd.jpg)
画家の趣味で描いたものでは当然なく、王カルロス2世の命で描いたものである。
モデルの少女は、着衣の作品では赤と白のブロケードと銀のボタンの豪華なドレスを着せられ、裸の作品では酒の神バッカスに模されている。
ゴヤ《着衣のマハ》《裸のマハ》は著名だが、それに120年ほど先立ち、こんな作品が制作されていたなんて驚き。
さらに驚きは、裸の作品は、「裸の"怪女"」と題し、1980年の東博「スペイン絵画・ベラスケスとその時代:スペイン国王・王妃両陛下来日記念展」にて来日していたこと。当時は「La Monstrua」との題名で、その邦訳を「怪女」としている。
モデルの少女は、1680年、6歳のときに宮廷に連れて来られる。その時既に70kg近くあり、当時マドリード中の話題になったらしい。その肥満は、現在の医学的見解では、クッシング症候群や副腎皮質機能亢進症といったホルモン異常によるものと考えられているようだ。
着衣の作品は王室コレクションからそのままプラド美術館入りしたが、裸の作品は王室コレクションから流出している。19世紀にフェルディナンド7世により下賜されたのだ。所有者が何回か変わったのち、結局1939年にプラド美術館に寄贈された。
宮廷画家カレーニョ・デ・ミランダは1685年に死去する。
その後のカルロス2世。
1689年、最初の妻(1679年に結婚)マリア・ルイサ・デ・オルレアンを亡くす。「結婚式では、その美しさがもてはやされたが、精神障害の夫との愛のない結婚生活のせいで憂鬱症に苦しみ、病的なまでに肥満したという」。
1690年、プファルツ選帝侯の娘と二度目の結婚をする。が、カルロス2世の精神状態は年々常軌を逸するようになっていく。子に恵まれる奇跡が起きることはない。
ルカ・ジョルダーノ
《カルロス2世》
1693年、66×56cm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/41/9155a177448f4b193db2788a0303cbdf.jpg)
1700年、38歳で死去。生まれた頃の様子を思えば、よく生きながらえたなあという印象。
カルロス2世の死をもってスペイン・ハプスブルク家は断絶する。