東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

モネとジヴェルニーの画家たち(Bunkamuraザ・ミュージアム)

2010年12月11日 | 展覧会(西洋美術)

「モネとジヴェルニーの画家たち」展に行ってきました。 


1 モネ
メインであるモネ。出品作品は、計14点。

まずは、「積みわら(日没)」が目をひきます。
ボストン美術館からは、本作と「睡蓮の池」の2点が出品。

これら作品、最近見たことあるなあ、と家に帰って確認すると、やっぱり。
六本木の「ボストン美術館展-西洋絵画の巨匠たち」でも出品されていました。
ということは、
六本木(4~6月)、京都(7~8月)(以上、ボストン美術館展)、北九州(10~11月)、渋谷(12~2月)、岡山(2~4月)(以上、本展)
と、概ね1年ずっと日本に滞在しているということになります。
(9月は何をしていたのか、岡山に本当に出品されるのか、は不明ですが。)
このままずっと日本にいてくれればいいのに。

睡蓮シリーズは、5点。
うち、ワズワース・アシニアム美術館の「睡蓮、水の光景」が今回の一番のお気に入り。2月7日までの展示。

なお、ワズワース・アシニアム美術館は、カラヴァッジョ作品を1点所有する美術館。
イタリアのリミニで、同美術館が所蔵するカラヴァッジョをメインに17世紀の作品を紹介する展覧会が開催されています。


モネの義理の娘ブランシュ・オシュデ・モネの作品が2点。
彼女は、モネの2番目の妻の連れ子で、モネの長男と結婚。
長男が早世後、ジヴェルニーに戻り、モネの身の回りの世話をしたということです。
2点ともモネ風作品。強く影響を受けていることがわかります。


2 ジヴェルニーの画家たち

(1)なぜ、アメリカ人画家なのか。

今回展示されるジヴェルニーの画家たちは、全てアメリカ人(ないしはその後アメリカに在住)。
モネが1883年に移住した時は、住民300人ほどの農村であったそうです。
その後、モネの作品によって広く知られたのか、世界各国から300人以上の芸術家たちが集まる「芸術家村」となりました。
約7割がアメリカ人とのこと。
1915年、第一次世界大戦により多くが退去を余儀なくされ、「芸術家村」は終焉することとなります。
が、母国に戻ってからも、自らの印象主義作品をも相まって、印象派の普及に貢献したそうです。

1887年に画家たちのたまり場となるボーディ・ホテルが開業。
カール・アンダーソン「ボーディ・ホテルのテニスコート」は、芸術家間の「社交的な」交流が伺える作品です。


(2)セオドア・アール・バトラー

アメリカ人画家バトラー。本展では、彼の5作品のほか、他画家による彼の肖像画も出品されています。
彼は、モネの2番目の妻の連れ子シュザンヌと結婚しています。
セオドア・ロビンソン「婚礼の行列」は、この結婚を記念して制作された作品です。
なお、バトラーは、シュザンヌが死去した1年後、シュザンヌの姉のマルトと再婚したとのこと。


(3)リーラ・キャボット・ペリー

ペリー総督の甥の妻であるリーラ・キャボット・ペリーの作品も3点。自画像もあります。
こんなところで、ペリー総督の名前が出てくるとは意外。

夫妻のジヴェルニー滞在は、1887年からの約10年間(途中何度か出身地であるボストンに戻ってます)。
リーラは、モネやピサロとも親交があり、アメリカにおける印象派の普及への貢献度大とのこと。

モネの絵をボストンに紹介し展覧会を開く。
ジヴェルニーで制作していたアメリカ人画家のためボストンでの個展を開けるよう世話をする。
美術学校の教職を紹介する。
など。

なお、甥は英文学の学者で、この後慶応大学の教授として招聘され、1898~1901年の約3年間、夫妻で来日しています。
リーラは、明治の日本を描いた印象派の画家ということでも知られているらしい。


(4)全体 

モネの影響を受けた印象主義作品がたくさん。
モネの物まねということではなく、モネをベースにしつつ自らの画風を作りあげているということなのでしょうけど。
個人的には、セオドア・ロビンソンは割といいですね。特に「果樹園にて」、「ジヴェルニーの花咲く季節」の連作。

Bunkamuraの前回企画展「フランダースの光」となんだか似ている展覧会。
今回はモネという西洋美術史上の大巨匠を軸に置いています。
それだけに、アメリカ人画家たちがどうしても小さく見えてしまうのはやむを得ないところでしょうか。 



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。