東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

フランシス・ベーコン、バリー・ジュール・コレクションを巡って

2021年06月22日 | 展覧会(西洋美術)

   朝日新聞の2021.6.14付ネット記事『「幻」のフランシス・ベーコン展、「謎」が残した問い』を読む。

 
   渋谷区立松濤美術館の「フランシス・ベーコン展」は、会期4/20〜6/13の予定であったが、緊急事態宣言発出により4/26から臨時休館となり、同宣言の再々延長にあわせ、渋谷区は区立美術館・博物館の臨時休館を再々延長し、結局、再開することなく閉幕となった。
 
   開催日数は僅か6日間。
   鑑賞者数は、記事によると、内覧会を含めた7日間で約1,700人であったという。
(先の巡回地・神奈川県立近代美術館葉山館も、会期80日間のうち僅か21日間の開館で終わっている。)
 
   記事によると、本展で紹介された「バリー・ジュール・コレクション」は、「コレクションを巡ってさまざまな議論がある」。
 
・(一部の資料は)他の人が関与したものも含まれる可能性があるとされる。
・(油彩画は)周りの画家が絵を持ってきたこともありえる。
・位置づけの不確かな資料もあり、玉石混交というのが専門家の評価ではないか。
 
   しかし、そうした議論があることについて、本展のチラシや図録ではほとんど示されず、会場でも入口の挨拶文に「さまざまな意見が取り交わされてきました」と記されたぐらいであったのは、所蔵者の意向があるという。
 
   そういえば、NHK日曜美術館の同展を紹介する番組も、「さまざまな意見が取り交わされてきました」の方向での説明は、無いわけではないが、限定的であった印象。
 
 
 
   渋谷区立松濤美術館学芸員の平泉千枝氏の芸術新潮2021年3月号掲載記事『アトリエの秘密 - ベーコンの“ドローイング”について』を読む。
(朝日の記事で「議論の経緯を記した、松濤美術館の学芸員による文章が美術雑誌に掲載されたとはいえ、」と触れているその文章だと思われる。)
 
   ベーコンの死の4年後、1996年にその存在が世に知られたバリー・ジュール・コレクション。
 
   ベーコンの専門家で旧友でもあり幾度も画家へのインタビューを行った美術評論家デイヴィッド・シルヴェスター(1924〜2001)と、唯一人の遺産継承者に指名され後に著作権等の管理を行う財団を設立したジョン・エドワーズ(1949〜2003)。
 
   同じくベーコンの専門家である大学教授デイヴィット・アラン・メラー(1948〜)と、画家の死の直前に大量の資料を譲り受けたとする所蔵者バリー・ジュール。そして2004年に「アトリエからのベーコン関連資料」として資料の多くの寄贈を受け入れたテート・ギャラリー。
 
   美術館でのコレクション展覧会は、1998年の企画は中止、2000年・2001年の企画はベーコン財団から「ベーコンに帰属する作品」とすることで開催許可。メラーも研究者として協力したその企画では、「Xアルバム」はその多くの作品を本人または一部本人の作と認定し、「ワーキング・ドキュメンツ」は他の人物が関与したものが含まれる可能性があり調査が必要として、帰属の認定を避ける。近年なお後者に関する議論は続いているという。
 
 
 
   所蔵者の意向を尊重しなければ、実現しない展覧会、あるいは作品借用がある。
   さらに美術研究者や著作権関係者たちの野心が加わる。
 
シルヴェスターの言葉。
「ベーコンの作であるか否かに拘わらず、その質ゆえに研究は無意味。」
「疑いのない傑作の油彩画の研究に時間を使うべき。」
   
   1944年頃以前の初期作品はクオリティが高くないとして、可能な限り破棄したというベーコン。
   ドローイングやスケッチは描かない、と公言していたというベーコン。
 
   死期を悟った画家は、譲る、ではなく、破棄することを託したのかもしれない。


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