ボッティチェリ展
2016年1月16日~4月3日
東京都美術館
本展では、ボッティチェリとともに、ボッティチェリの師であるフィリッポ・リッピ、および、フィリッポ・リッピの息子で、ボッティチェリの弟子・共同制作者そしてライバルであるフィリッピーノ・リッピが取り上げられる。
ボッティチェリとリッピ父子の3人展とも言える展覧会構成。
フィリッポ・リッピ
1406年頃-1469年
ボッティチェリ
1444/45年-1510年
フィリッピーノ・リッピ
1457年-1504年
フィリッポ・リッピの作品と言えば、ウフィツィ美術館の《聖母子と2人の天使》《聖母の戴冠》、パラティーナ美術館の《聖母子と聖アンナの生涯》、あるいは、プラート大聖堂中央礼拝堂の連作壁画《洗礼者聖ヨハネの生涯》のうちの《ヘロデの宴会》などが思い浮かぶ。
本展の出品は、さすがにスター作品はなく、小サイズで地味っぽいが、その大半が手元のリッピ画集(東京書籍刊)に図版が掲載されており、私が想像する以上に重要な作品たちであるらしい。もともとリッピの現存作品が多くないのだろう。
フィリッピーノ・リッピの作品と言えば、マサッチオとマソリーノが途中で制作を放棄し、長らく未完成状態であった、サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂のフレスコ画を完成させた(どの絵がマサッチオによるものか、マソリーノによるものか、それともフィリッピーノ・リッピによるものか、結構混同する)こと以外は知らない。
本展は、フィリッピーノ・リッピ作品と向き合う初めての機会となる。なお、ボッティチェリより10歳強年下のフィリッピーノ、6年早く亡くなったのですね。
以下、父親の出品作品を並べる。
《玉座の聖母と天使および聖人たち》1430年代初頭、43.7×34.3cm、エンポリ、サンタンドレア参事会聖堂美術館
1430年代初頭の制作とあるから、リッピ初期の作品。
1991年の「フィレンツェ・ルネサンス:芸術と修復」展や2001年開催の「イタリア・ルネサンス 宮廷と都市の文化」展で来日しているので、一番海外出張させやすいリッピ作品かと思われる。
《聖母子》1436 年頃、27.3×21cm、ヴィチェンツァ市民銀行
むずかるイエスが可愛い作品。
《聖母子と天使たちおよび聖人たちと寄進者》1435-37年頃、 47.1×36cm、ヴェネツィア、チーニ邸美術館 (ジョルジョ・チーニ財団)
寄進者を迎え入れる天使。
《ピエタ》1440年頃、57.5×32cm、ポルディ・ペッツォーリ美術館
哀れを誘う激しい表現。岩山の描写も印象的。
ボッティチェリ《聖母子(書物の聖母)》に加えて、リッピも出品してくれたポルディ・ペッツォーリ美術館に感謝。
《セルキオ川の流れを変える聖フレディアヌス、聖母の死の告知、聖アウグスティヌスの幻視 (《バルバドーリ祭壇画》の裾絵)》1438 年頃、40×235.5cm、ウフィツィ美術館
ブレデッラ3画面。
ルッカ周辺の沼地の干拓。
受胎告知ではなく、死の告知。
祭壇画の中央パネルはナポレオンに持ち出され、今はルーヴル美術館にあるとのこと。
《聖母子》1445年頃、89×64cm、モンテスペルトリ、宗教美術館
白い布に巻かれたイエス。
《玉座の聖母子と二天使、聖ユリアヌス、 聖フランチェスコ》1445-50年、73×47.9cm、ロンドン、ピッタス・コレクション
工房の手が相応に入っているらしい。
《受胎告知のマリア、大修道院長聖アントニウス》
《大天使ガブリエル、洗礼者聖ヨハネ》1450-55年頃、各画面57×23.5cm、ウフィツィ美術館
2014年秋の東京都美術館でも登場。
《ヴェールをかぶった女性頭部の習作(バルトリーニの円形画のため)》1452年頃、300×205mm、ウフィツィ素描版画室
《座って書物を読む修道士の習作(書斎の聖ヒエロニムス?)》1452/56-60年頃、296×195mm、ウフィツィ素描版画室
素描2点。
パラティーナ美術館の《聖母子と聖アンナの生涯》の準備素描とされる前者は特に見応えがある。
ボッティチェリとリッピ父子のほか、プロローグ的な第1章では、ポッライオーロ兄弟やヴェロッキオの作品も並ぶ本展。
素晴らしいイタリア・ルネサンス展覧会なので、4/3の閉幕まで再訪を重ねることとなろう。
そういう私にお得かもしれない情報。
ボッティチェリの傑作《ラーマ家の東方三博士の礼拝》にちなみ、2月9日(火)から3月31日(木)までの間、3人組で来場された方にこの作品のポストカード3枚をプレゼントします。
会場内ショップのレジで本展観覧券の半券を3枚まとめてご提示ください。お一人が代表してご提示くださっても結構です。
一人で3回通っても、もらえるのかな。同じカード3枚もらってどうするかはあるけれど。