ルーベンス
《眠る二人の子供》
1612-13年頃、50.5 x 65.5cm
国立西洋美術館
1577年6月、ルーベンスは両親の亡命先ドイツのジーゲンに生まれる。7人兄弟の6番目、ただし7番目の男の子は育たなかったので、ルーベンスが実質的な末っ子である。
すぐ上の兄、三つ年上のフィリップ(1574年生)とは、幼少の頃からたいへん仲が良かった。
1598年、ルーベンスはアントワープの聖ルカ画業組合への加入が許可され、一人前の画家となる。
1600年、イタリア留学に出発する。ヴェネツィアに滞在し、ツテを得てマントヴァ公の宮廷画家として召し抱えられる。
1601年、マントヴァ公の命令で、絵画の模写のためにローマに派遣される。憧れの地ローマである。
そのローマには、兄フィリップがすでに滞在していた。
兄フィリップは、ネーデルラントの統治者であるアルブレヒト大公のローマ駐在大使リシャルドーの父親の秘書を務め、その後、大使の弟のイタリア旅行に家庭教師として同伴。ローマに滞在し、ローマ大学で法律を学んでいたのである。
ルーベンスは、アルブレヒト大公がローマのサンタクローチェ・イン・ジェルサレンメ教会に寄進する《聖ヘレナの幻視》など計3点の祭壇画を制作する。
このルーベンス初の公的作品制作は、ローマ駐在大使の推薦によるものであるが、その背後には兄フィリップの強い働きかけがあったのだろう。
1603年、ルーベンスはスペインへマントヴァ公の外交使節として派遣される。
1604年1月、マントヴァに帰還。
1605年、再びローマへ。
その頃、兄フィリップはローマ大学ですでに法学の学位を取得しており、コロンナ枢機卿の書物係としての職を得ている。
兄弟は一緒に暮らす。ルーベンスは遺跡見学やさまざまな時代の美術の研究に励む。
兄フィリップは、学者として世に認められつつある。名門ピザ大学から誘いがあり、ローマ時代の風習についての研究を行うこととなる。
この研究は、のちに『エレクトールム・リブリII』と題してアントワープの印刷業者から出版される。ルーベンスのデッサンをもととした銅版画による挿絵付きである。兄フィリップは序文のなかで「すばらしい挿絵を提供してくれただけでなく、鋭い助言を与えてくれた弟」のことを紹介している。
1605年冬頃から、アントワープに残してきた母の体調が不安定になる。兄フィリップは様子を見るため帰国する。
1608年10月、新たに建立されたサンタ・マリア・イン・ヴァッリチェッラ教会の祭壇画(第2作)の制作を完成させて祭壇への取り付けを待つばかりであったルーベンスに、母危篤の知らせが届く。
マントヴァ公の宮廷画家の職を辞し、急遽アントワープに帰国する。が、母の死に目に会えなかった。
アントワープで、兄弟は母が遺した家で一緒に暮らす。
1609年春、兄フィリップが「美しくて教養高く、優雅で血筋も良く、裕福な女性」と結婚し、家を出る。
「兄はあまりにもすばらしい花嫁を見つけた。とても真似することはできないようだから、結婚はずっと先のことになると思う。」と友人に語るルーベンス。
ところが兄の結婚から数ヶ月ほど経った頃、ルーベンスは兄嫁の姪に会って、ひと目惚れしてしまう。
同年(1609年)秋、結婚式を挙げる。
イサベラ・ブラント。1591年生まれで、結婚当時18歳。ルーベンスは32歳。14歳も年下の妻を娶ったことになる。
彼女の父は、アントワープ市の書記官で、兄フィリップの同僚であるヤン・ブラント。兄フィリップの妻は、ヤン・ブラントの妻の妹にあたる。
1611年8月、兄フィリップは37歳で夭折する。
生まれて間もない二人の子供を残してのことである。
ルーベンスは、甥を(たぶん姪も)養子として引き取る。
さて、国立西洋美術館が所蔵する《眠る二人の子供》。
〈国立西洋美術館HPより〉
あどけない寝顔を見せるこの子供たちは、画家の兄の子、クララ(右)とフィリップ(左)と考えられる。
画家が非常に仲よくしていた兄フィリップが1611年に歿し、残された二人の子供(1610年および11年の生まれ)にルーベンスはことのほか関心を寄せてこの習作を描いたのであろう。二人の子供の年格好からすれば、1612/13年頃の制作となる。
これら二人の子供の顔はそれぞれ別々にミュンへンの《花環の聖母》やルーヴルの《聖母と天使》など、大型油彩画にも用いられている。
甥フィリップは、長じて後、アントワープのルーベンスの暮らしぶりを書き留める。のちに、それをもとにルーベンスの伝記が出版されることとなる。
ルーベンス
《フィリップ・ルーベンス、画家の兄の肖像》
1610年または1611年、68.6×53.7cm
デトロイト美術館
*2013年Bunkamura「ルーベンスの 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」展で来日。
参考書籍:岩渕潤子『ルーベンスが見たヨーロッパ』(ちくまライブラリー)
2018年11月掲載記事の再掲載