東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

「ヒコーキと美術」展(横須賀美術館)

2021年03月29日 | 展覧会(日本美術)
ヒコーキと美術
2021年2月6日〜4月11日
(ただし、2/6〜3/7は臨時休館)
横須賀美術館
 
 
   題名からは、練馬区立美術館「電線絵画展」の飛行機バージョンを想像する。
   趣旨説明からは、抑え気味の書き振りだが、「戦争」が中心となるらしいことが伺われる。
   そして、構成は、最初と最後の皮の部分こそ「飛行機」だが、真ん中の餡子の部分は「戦争」。
   「戦争と美術」展(戦闘機版)である。
 
 
 
   最初の展示室は、恩地孝四郎。
 
   書籍《飛行官能》および版画《空旅抒情》6点連作。恩地の飛行体験を純粋芸術として表現した1934年および1938年の作品。
 
 
 
   2番目の展示室から様相が変わる。
 
「貯蓄報国  貯蓄は身の為国の為」
「支那事変国債  郵便局売出し」
「貯蓄するだけ強くなる お国も家も  230億貯蓄完遂へ」
「われらの攻略目標  国民貯蓄二百三十億円」
 
   昭和12〜17年のプロパガンダ・ポスター12点に囲まれる。いきなり戦時中。
 
   展示のプロパガンダ・ポスターは、1937年から1945年まで長野県阿智村の村長をされていた方が、個人的に収集し長く自宅に秘蔵していた135点のポスター(現在は阿智村に寄託)の一部。
   本展では飛行機(=軍用機)が描かれたものが選ばれているのだが、135点の全容は、勉誠出版刊の書籍『プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争』で知ることができる。
   ポスター実物は、保存状態が良好のようで、図版で見るよりもずっと臨場感がある。
 
   その展示室中央には、1934〜44年まで発刊された海外向けに日本を紹介するグラフィック雑誌『NIPPON』4冊の飛行機関連頁を展示。
   「女子とグライダー」という記事があり、運転士か整備士らしい若い女性の写真のほか、どういう脈略なのか振袖姿の多数の若い女性たちが登場する写真もある。日本には「グライダー女子」がいるとでも説明しているのだろうか。
   
 
 
   3番目の展示室は、戦争画。
 
川端龍子《香炉峰》1939年、大田区立龍子美
 
   半透明の戦闘機が飛行する姿を巨大画面いっぱいに描いた作品。
   本展のメインビジュアルとして使用。山種美術館の川端龍子展以来2度目の対面だが、横須賀美の展示室は大きいので、山種美ほどの圧迫感は感じない。
 
 
久保克彦《図案対象》全5面、1942年、東京藝術大学
 
   1942年、東京美術学校の卒業制作。第3画面の墜落していく戦闘機が印象的であるが、英・独の戦闘における英国軍の戦闘機とのこと。
   久保は、東京美術学校を繰上げ卒業後すぐに陸軍に入隊し、1944年中国で戦死している。
 
 
   東京国立近代美術館が所蔵する「戦争記録画」3点。
 
新井勝利《航空母艦上に於ける整備作業》3部作、1943年、東近美
・航空母艦の格納庫内での点検整備作業
・甲板上での発艦準備作業
・発艦
   私には同じような戦闘機にしか見えないのだが、3部作はそれぞれ描かれている機体の形式は異なっている(中島製、三菱製、愛知製)らしい。
 
 
山口華楊《基地における整備作業》1943年、東近美
 
   南方の水上基地。帰還した水上機と搭乗員を、半裸の整備員たちが歓喜して迎える場面が描かれる。
 
 
石川寅治《南太平洋海戦》1944年、東近美
 
   海から沸き立つ雲の峰の間に、米軍・日本軍の戦闘機が入り乱れる。
 
 
 
   4番目の展示室も、戦争画。
 
清水登之《擬装》1938年、栃木県立美
 
   一見抽象絵画っぽいが、地上や上空からの敵に対してカモフラージュした大砲と砲兵たちが描かれているという。確かに。
 
 
清水登之《江南戦場俯瞰》1939年、栃木県立美
 
   これも一見抽象絵画っぽいが、1938年の日本海軍による漢口飛行場の爆撃を描いたものであるという。そうは見えづらい。
 
 
向井潤吉《影(蘇州上空)》1938年、東京都現代美
 
   町を覆い隠すような巨大な飛行機の影。
 
 
佐藤敬《クラークフィールド攻撃》1942年、東近美
 
   1942年8月の在フィリピンの米軍飛行場攻撃。飛行場の全体をおさめた大構図、立ち上る煙の巨大な立体。
 
 
中村研一《北九州上空野辺軍曹機の体当りB29二機を撃墜す》1945年、東近美
 
   1944年8月の題名どおりの史実を、写実的ではなく、美しい画面として仕上げる。
   中村は、当時40代後半と画業の脂が乗った時期で、義父が海軍少尉であったこともあり、積極的に戦争記録画制作に関わり、藤田嗣治に次ぐ戦争記録画作品数を残したという。
 
 
佐々木雅人《出撃を前に》1943年、横須賀美
 
   横須賀生まれで小学校教員をつとめながら制作を続けた画家。
   本作は、携行の製図板を手に、航路を確認する飛行兵たちを描いた写実的な作品。
 
 
 
  5番目の展示室は、戦後になる。
 
佐田勝《廃墟》1945年、板橋区立美
 
   空襲で焼失した池袋の国民学校がモチーフと言われているという。焼け跡に残るコンクリートの列柱。なんとも言えない廃墟が持つ美しさすら。
 
 
岡本信治郎《銀ヤンマ(東京全図考)》1983年、東京都現代美
 
   私的には本展一番の衝撃作。
   大画面にオレンジと緑の明るい色彩で精密に再現された東京市街図。その上に巨大なトンボ。重力にしたがい落ちる絵の具の滴りが、東京市街図を完全に覆っている。皇居とその周辺を除いて。
 
 
 
   6番目の展示室
 
中村宏《砂川五番》1955年、東京都現代美
 
   砂川闘争を主題とした作品。
 
 
 
   以上が本展。12点ほどの出品作の記載を省略している。
 
   続く展示室では、本展の関連展示として、横須賀と飛行機の歴史をふりかえる「横須賀海軍航空隊と秋水」。
   「秋水」とは、横須賀で開発された日本初のロケット局地戦闘機の名前。試作機で終わっている。試飛行が不時着に終わりパイロットが亡くなった出来事も紹介される。
 
 
   力のこもった展覧会と思うが、開幕予定日の約1ヶ月前の1/12から開幕予定日の約1ヶ月後の3/7まで美術館が臨時休館し、3/8から開始したものの緊急事態宣言継続中であったため、展覧会告知のタイミングを逸したのかもしれず、会期も半分になってしまって、それほど話題になっていない印象なのは惜しい。
 
 
   約10年ぶり2回目の横須賀美術館訪問は、気候に恵まれ、美術館自慢の海景も楽しんだ。
 
美術館
緑の芝生に親子連れが遊びにきている。
 
美術館から見る海景
 
写真では小さすぎて見えないが、行き交う多くの船に加え、空には飛行機も。
 
 
帰りは、美術館からバス停で2つの距離にある定食屋さんで、アジの刺身定食をいただく。次回はアジフライか、今回売り切れであった自慢の穴子を食べてみたい。


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