東京でカラヴァッジョ 日記

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フラ・カルネヴァーレ(1420/25-84)

2021年06月04日 | 西洋美術・各国美術
   ウルビーノのコルプス・ドーミニ教会のための祭壇画の注文を破棄したフラ・カルネヴァーレについて、確認する。
 
 
フラ・カルネヴァーレ(バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ・コラディーニ)
(Fra Carnevale、1420/25-84)
 
   1420-25年頃、ウルビーノに生まれる。彼の修業時代は知られていないが、後期ゴシックのフェラーラの画家アントニオ・アルベルティ(誰?)のもとで修業した可能性が言われている。
 
   1445年の春、フィレンツェにやってきて、フィリッポ・リッピの工房に協力者として参画する。同工房には翌年9月まで関わり、以降もしばらくフィレンツェにとどまって、他の画家たちの協力者として活動したようである。1449年暮れまでに故郷ウルビーノに戻る。
 
   当時のウルビーノの支配者は、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ。芸術・文芸が庇護されるとともに、ルネサンス都市の建設が進められていた。
 
   フラ・カルネヴァーレは、ドミニコ会士として活動するとともに、絵画を制作し、また、建築家としても都市建築にかかわる。ルネサンスの万能人・アルベルティや、画家・数学者であるピエロ・デッラ・フランスチェスカなど、ウルビーノ宮廷に集まる芸術家・人文主義者たちとの交流もあったようである。
 
   確実にフラ・カルネヴァーレの手によるとされる絵画は少ないようであるが、帰属作品を含めて、遠近法を駆使した空間と建築物を描くことに専心したと言える作品が残っている。
 
 
フラ・カルネヴァーレ
《マリアの誕生》
1467年頃、144.8×96.2cm
メトロポリタン美術館
 
 
フラ・カルネヴァーレ
《マリアの神殿奉献(?)》
1467年頃、146.5×96.5cm
ボストン美術館
 
 
フラ・カルネヴァーレ
《受胎告知》
1445-50年頃、87.6×62.8cm
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
 
 
フラ・カルネヴァーレ(?)
《受胎告知》
1445年頃、69.9×78cm
アルテ・ピナコテーク
 
 
フラ・カルネヴァーレ(?)
《聖母子》
1445年頃、49.7×30.6cm
アカデミア・カッラーラ、ベルガモ
 
 
フラ・カルネヴァーレ(??)
《理想都市》
1480-84年頃、77.4×220.0cm
ウォルターズ美術館、バルティモア
 
 
   ルネサンスの理想都市。


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