MOTコレクション
歩く、赴く、移動する 1923→2020
2023年12月2日〜2024年3月10日
東京都現代美術館
「鹿子木孟郎と柳瀬正夢の関東大震災」の次の展示室には、藤牧義夫(1911〜35)の作品が展示される。
関東大震災当時、藤牧は12歳で、群馬県館林に住んでいた。
1927年、16歳で上京し、染織画工・佐々木倉太に弟子入りし、商業図案の世界で活動する一方で、創作版画の世界に足を踏み入れる。
関東大震災から約10年後の隅田川両岸の風景を白描で仕上げたのが、24歳で失踪した版画家・藤牧義夫(1911-1935)です。
復興後の都市計画で再建された白髭橋など近代的な都市の姿と、江戸らしい街並みが同居する川べりー様々なパースを組み合わせ、此岸から対岸を望む視点に、時に対岸に渡りその先を眺める視点をも繋げるという驚異的な「編集」*によって生まれた大パノラマは、独特の寛ぎをもった川辺の道行きを私たちに与えてくれています。
*大谷芳夫『藤牧義夫 真偽』学藝書院、2010
藤牧義夫
《隅田川両岸画巻No.2》28×1624cm
《隅田川両岸画巻No.3》28×1606cm
1934年、東京都現代美術館
以下、《隅田川両岸画巻No.2》の公開場面の先頭部分。
藤牧の版画は4点の展示。うち1点。
藤牧義夫
《サイレン(火の見櫓)》
1929年、22.5×14.5cm
東京都現代美術館
1929年(昭和4年)5月1日、東京の午砲が大砲(空砲)からサイレンに変わる。
「ドン」から「猛獣のうなるやうなすごい音」に変わる。
発音場所は、愛宕山と小石川高等小学校、本所公会堂。
その日の正午、日本橋消防署の望楼近くを通り
ぬけようとしたとき。
聞いたこともない轟音に鼓膜がふるえ、藤牧はとっさに足を止めて空を見上げる。鉄塔の背後、愛宕山方面からはなたれる猛りくるったようなサイレンの音が、暴れながら空に散っていくようであった。
(参照:駒村吉重『君は隅田川に消えたのか-藤牧義夫と版画の虚実』)
藤牧の版画では、今年5月に東京国立近代美術館のコレクション展示で見た作品が印象に残る。
藤牧義夫
《赤陽》
1934年、41.7×27.9cm
東京国立近代美術館
この作品は、上野広小路の光景を松坂屋百貨店から湯島方向を見下ろした構図で描いたものとされています。(中略)
藤牧は通常の版画制作からは逸脱した実験的な方法で作品を生み出しました。
ここでも、一度摺った版画の下部を切り取り、上方向に引き上げて糊付けするという大胆で即興的な構図変更の跡が認められます。
また、この作品の印象を決定づける夕陽も、摺られたのではなく、後から朱色で手彩色されたものです。