美をつくし - 大阪市立美術館コレクション
2022年9月14日~11月13日
サントリー美術館
大阪・天王寺公園に位置する大阪市立美術館。
同館には何度か訪問しているが、2000年&2019年のフェルメール展、2021年のメトロポリタン美術館展など、もっぱら大型企画展目当てで、コレクション展示についてはほとんど見たことはなかった。
そのコレクションは非常に充実していて見応えがあるとの話が聞こえてくるし、各種展覧会には興味深い作品が出品されているし(最近では、2021年の「あやしい絵展」で観た日本画)で、本展を楽しみにしていたところ。
東京・京都に次ぐ日本で三番目の公立美術館として、昭和11年(1936)に開館した大阪市立美術館。
その建物は2015年に登録有形文化財(建造物)に指定されているとのことであるが、2026年の開館90周年を迎える前に、大規模改修工事を行う。
「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」(〜9月25日)の閉幕後から2025年春予定のリニューアルオープンまで、2年半ほどの長期休館となるという。
長期休館にあわせて、各地で大阪市立美術館コレクション展が開催される。
私が認識する範囲では、次の3会場が予定されている。
東京:サントリー美術館
2022年9月14日~11月13日
福島:福島県立美術館
2023年3月21日〜5月21日
熊本:熊本県立美術館
2023年9月16日〜11月12日
3会場の会期の合間が結構あるし、熊本終了後も休館は続くし、さらに巡回予定があるのだろうか。
【本展の構成(展示順)】
1 祈りのかたち 仏教美術
2 日本美術の精華 魅惑の中近世美術
3 はじまりは「唐犬」から コレクションを彩る近代美術
4 世界に誇るコレクション 珠玉の中国美術
5 江戸の粋 世界が注目する近世工芸
1 祈りのかたち 仏教美術
田万清臣・明子夫妻による田万コレクションを中心とする仏教美術約20点。
田万清臣(1892-1979)は、弁護士、政治家であり、仏教美術・近世絵画を中心とする東洋美術のコレクターとしても知られる。
昭和24年の法隆寺金堂火災では、法隆寺国宝保存工事事務所の監督責任者2名が失火責任を問われ起訴されたが、田万は、その弁護を手弁当、無報酬で引き受け、高裁で無罪確定させたという。
また、1937年に盗難にあった東大寺法華堂(三月堂)の本尊「不空羂索観音像」の宝冠の回収および犯人逮捕に協力する。
時効が迫る1943年、警察からの協力依頼を受けていた田万の自宅に、近隣に住む老人が処分を相談したいと、それらしい品を持ってきたのである。
東大寺からお礼にと田万に贈られたという《大般若経》も本展に出品。
撮影可の作品。
《銅造 誕生仏立像》
白鳳時代・7〜8世紀、田万コレクション
2 日本美術の精華 魅惑の中近世美術
前期17点より、お気に入り3選。
長谷川等伯の晩年作《烏梟図屏風》1607年。
昼間は眩しすぎるので木に止まって動かずにじっとしている一羽のフクロウを、二羽のカラスがやってきて揶揄っている。
男装して宮仕えする少女の物語《新蔵人物語絵巻》室町時代・16世紀。
嬉しいことに、上下巻ともに展示。
上巻の前期公開は、冒頭の家族会議の場面。
主人公の三女が「あこはただ、漢になりてぞ走り歩きたき」と宣言する。
下巻の前期公開は、主人公が男装で参内する場面。
「新蔵人」として男装で出仕していた主人公は、あるとき女性であることが帝に知られてしまう。しかしかえって珍しく思われて、より一層帝の寵愛を受ける。やがて妊娠。
本場面は、男児を無事出産してから初めて、数ヶ月ぶりに参内する主人公。その姿は兄の蔵人と瓜二つ。帝も久しぶりに主人公の姿を見て喜んでいる。
5つの怪異物語を収めたオムニバス形式の絵巻《化物草子》江戸時代・17世紀、田万コレクション。
前期の公開は、第2話。
鬼が住むとの噂がある五条堀川の荒れ果てた屋敷に、公卿の三善清行が移り住んだところ、夜中に噂どおり多数の化物が現れる。
化物たちのなかの翁が手紙を示し、この屋敷の専有権を訴える。
しかし、清行にその主張を論破され、化物たちは退散する。
化物たちの様々な姿を面白くみる。
撮影可の作品。
原在正/四辻公説賛《猫図》
江戸時代・18〜19世紀、田万コレクション
3 はじまりは「唐犬」から コレクションを彩る近代美術
近代日本画6点。いずれも通期展示。
橋本関雪《唐犬》1936年は、大阪市立美術館のコレクション第1号。美術館の1936年の落成記念に開催された帝展出品作を買い上げたものとのこと。3頭の唐犬の姿が美しい。
北野恒富が2点。
夜空を見上げる白い着物姿の若い女性を描いた《星》1939年。
せっかくの宵宮なのにと、恨めしそうに外を眺める三人姉妹の後姿を描いた《宵宮の雨》1928年。
他に、児玉希望、今村紫紅、上村松園。
図録を見ると、東京会場には出品されないが、他の会場では、島成園《上海にて》&《伽羅の薫》が出品されるようだ。
本展覧会に対して島成園の作品を期待していた私としては、残念である。
撮影可の作品。
恒富《星》と松園《晩秋》1943年。
4 世界に誇るコレクション 珠玉の中国美術
東洋紡績株式会社(現・東洋紡)の社長を務めた阿部房次郎氏による中国書画のコレクション、および、関西の実業家・山口謙四郎氏による石像コレクションを中心とする、中国美術約20点。
撮影可の作品。
《青銅鍍金銀 仙人》
後漢時代・1〜2世紀、山口コレクション
5 江戸の粋 世界が注目する近世工芸
1912年に来日したスイス人実業家U.A.カザール(1888-1964)氏のコレクションの印籠・根付・櫛を主とする、江戸後期から明治期にかけての近世工芸約60点。
大阪市立美術館は、1982年の「根付」一括750点を始まりに、1989年までに、総数3409件、4333点にのぼるコレクションを遺族から譲渡される。美術館収蔵品の半数を占めるという。なお、本展出品作の約半数もカザールコレクションが占める。
カザールコレクションが当館の収蔵品になったのは偶然の重なりの結果ともいえる。
1912年の来日以来、 カザールは日本に滞在し日本美術の蒐集を続けた。
しかし1930年代後半に入り日米関係が悪化するなか、家族とともに収蔵品をアメリカに移そうと考えた。
1941年冬、須磨区毘沙門山にあった自宅を処分し、コレクションは梱包され神戸港の倉庫に運ばれアメリカにむかう船への積み込みを待つばかりであった。
ところが出航予定日が1941年12月8日の日米開戦より僅かに遅かったため、アメリカ行きはかなわずコレクションは木製コンテナに収納されたまま、神戸港の倉庫から親交のあった大阪市立美術館へ移動された。
カザールと家族は再び神戸に戻り、現在の垂水区塩屋ジェームス山にある外国人住宅へ移転した。中立国スイスの国籍であったため太平洋戦争中も日本にとどまることができた。
ジェームス山の外国人住宅もそこそこの広さではあったが、展示棟をそなえた毘沙門山の家とは異なり作品を置くスペースはなかった。そのため一部の小品をのぞいて大半の作品は木製のコンテナに収納されたま大阪市立美術館の三階倉庫にお かれたまま戦中戦後を過ごした。
カザールの没後、コレクションは大阪市立美術館に譲渡されることになる。
(大阪市立美術館紀要第13号「U.A.カザールとコレクション」より)
根付コーナーは撮影可。
上から
《道成寺鬼女牙彫根付》
《道成寺牙彫根付》
《舌切雀葛籠牙彫根付》
いずれも江戸〜明治時代・19世紀、カザールコレクション
関西の財界人から寄贈・遺贈等されたコレクションをまとめて収蔵していること。
美術館の敷地自体も住友家から本邸跡地が寄贈されていること。
美術館もコレクションも、関西の財界人の協力で築き上げてきたところに、大阪市立美術館の特徴があるようだ。