東京でカラヴァッジョ 日記

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歴史にみる震災(国立歴史民俗博物館)

2014年03月15日 | 展覧会(その他)

歴史にみる震災
2014年3月11日~5月6日
国立歴史民俗博物館


 国立歴史民俗博物館は、初訪問。
 京成佐倉駅で下車するのは、佐倉市美術館訪問以来だなあ。
 確認すると、2004年の「フランス・ハルスとハールレムの画家たち」展、フランス・ハルス美術館所蔵作品からなる展覧会。
 ハルスの集団肖像画の傑作≪養老院の女性理事たち≫が来日。ハルスらしい筆触といい、人物たちの生き生きとした表情といい、黒の豊かさといい、実に印象深い、素晴らしい作品だった。


 さて、本展。印象に残った内容を記載する。


第1章 東北の震災・津波
第1節 前近代の被災

1)津波堆積物
 堆積地層サンプルが展示。
 東日本大震災の津波堆積物、慶長地震津波の津波堆積物、そして貞観地震津波の津波堆積物が確認できる。

2)貞観地震津波(ユリウス暦869年7月9日)

≪日本三代実録≫(館所蔵)
 901年成立の歴史書(六国史の第六)。858年から887年の30年間(清和・陽成・光孝の3代の天皇)を扱う。
 貞観地震津波の記述が紹介される。

3)慶長地震津波(西暦1611年12月2日)

≪駿府記≫(個人蔵 徳川宗家文書)
 納得感に欠ける締め

 政宗に献上する初鱈を獲るため派遣された二人の侍。漁師たちは、潮色が異常だからと難色を示す。侍の一人は納得し、出漁をとりやめる。もう一人は、主命を受けたのだからと強行する。とりやめた侍と漁師は、陸で津波に襲われ、助からず。出漁した侍と漁師は、津波に遭うものの、何とか命は助かる。さらに、後日褒美を授かる。
 主命には従うべきだなあ。

≪ビスカイノ金銀島探検報告≫
 慶長地震津波に遭遇したスペイン人がいた!

 答礼使としてメキシコ副王から1611年に派遣されたスペイン人・ビスカイノ。許可を得て、政宗領の沿岸測量中に津波に遭う。

 ある村に着いた際、村民たちが村を捨て高台へと逃げ行くのを見る。おかしいなあ、今までの村では、自分たちを見ようとみんな海岸に集まってきたのに。自分たちを見て逃れようとしているのか。実は、逃れようとしていたのは、異人からではなく、大地震の後やってくる津波からなのであった。

 津波は3回やってきた。随行の2艘は沈没したが、ビスカイノの船は何とか助かる。ことが終わって村に着き、被害を免れた家で厚遇を受ける(震災当日にもかかわらず、厚遇する村人!)

 以後も測量任務を継続したビスカイノ。1613年、慶長遣欧使節団の船サン・ファン・バウティスタ号に同乗し、帰国する。


第2節 近現代の地震・津波

≪東北3県(青森、岩手、宮城)の津波石碑情報アーカイブ≫

 タッチパネル画面で、国土交通省・東北地方整備局による津波石碑情報アーカイブを検索することができる。
 明治三陸津波(1896年6月15日)、昭和三陸津波(1933年3月3日)、チリ津波(1960年5月24日)の石碑。
 東北地方整備局HPでも閲覧可能だが、本展ではその情報をさらに更新(東日本大震災も対象)している。

 「県(青森、岩手、宮城)を選択→地区を選択→石碑番号を選択→石碑の写真→石碑の碑文」と進む。

 土地勘なしの私が検索したのは、岩手県久慈市宇部町(小袖)大向宅裏の「昭和八年津波記念碑」。昭和9年建立。高さ約2m。NHK朝ドラ「あまちゃん」の早々第1回には登場していた石碑である。

 碑文を東北地方整備局HPで改めて確認すると、

 表:大津浪くぐりてめげぬ雄心持ていざ追い進みまい上らまし  英彦
 
 裏:維持昭和八年三月三日旧二月八日午前三時四十八分、突如強震あり。洋上遠く爆音を聞きしよりわずかに半刻の後、天を摩する怒濤、閃光を帯びて陸岸を襲い、一時にて幾多の生霊を奪い、財をさらう。その惨状言語に絶す。天聴に達し畏くも勅使を差遣わされ、救恤の資をヲ賜う。天恩洪大まことに感に堪えず。我が県、官民協力一致して克く、その救護に仕し、孜々として復興にかの全国朝野の同情また翕然として集まり、もって罹災民の飢寒を救い、奮容を復するを得たり。津浪は往古より周期的に襲来す、と聞く。被害地住民は永くこの災禍を追憶し、宜しく向後を警戒するの覚悟あるを要す。ために東京朝日新聞社寄贈の義援金をもってこの碑を建設し、永くこれを記念し、かつ将来の鑑戒しなす所以なり。【宇部村の被害数の記載】強い地震は津浪の報せ

 なお、本展のアーカイブでの碑文(裏)情報は、HPでは省略されている【宇部村の被害数の記載】の箇所のみの記載だった気がする。

 石碑は、東北3県で317基残っており(青森:8、岩手:225、宮城:84)。対象は、明治津波:120、昭和津波:152、チリ津波14、とのことである。


第2章 近代の震災
第1節 関東大震災
第2節 北但馬・北丹後地震
第3節 東南海・南海地震
第4節 福井地震

本展HPより:戦時下・占領下の震災
 戦時下の震災は、戦争の影に隠れて、大きく報道されることもなかったため、あまり強く人びとの記憶に残りませんでした。また、占領下の震災も、空襲被害との混淆や、この時期の混乱の中で、あまり強く意識されませんでした。このことが、高度経済成長期に、近い時代に震災があったことを多くの人が忘れ続けた原因にもなったと考えられます。戦時下の東南海地震、占領下の南海地震・福井地震に焦点を当て、戦時・占領下の忘却、さらには南海トラフ地震の歴史と併せてご覧頂きます。
・東南海地震(1944年12月7日)
・三河地震(1945年1月13日)
・昭和南海地震(1946年12月21日)
・福井地震(1948年6月28日)


エピローグ:阪神・淡路大震災から考える


日本の社会は、大地震の発生を前提として、その構築を考えていかなければならないということを改めて認識した。



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