写楽と豊国~役者絵と美人画の流れ~展
2015年1月10日~3月15日
三鷹市美術ギャラリー
1794年、彗星のごとく現れた東洲斎写楽と新進気鋭の歌川豊国は、役者絵市場を牽引する。
「浮世絵の世界的な巨匠」写楽と「浮世絵の大親分」豊国を軸に、寛政期の浮世絵を出発点として、幕末に至る歌川派の役者絵、美人画の流れを追う、出品点数140点の展覧会。
キャプションのキャッチコピーに導かれ、いくつもの興味深い作品に出会う。
1 写楽・豊国とその周辺の絵師たち
1)写楽周辺の絵師
No.18 鳥居清政≪四世岩井半四郎の江戸紫娘道成寺≫
「消えた天才少年絵師」。
鳥居清長の長男だが、鳥居家の画系継承上の争いになることを恐れた父から、筆を折らされる。ゆえに、活動は、1786-1795と10代の10年間。
本作は1793年(17歳)頃の作。個人的には、そのふくよかさ、のびやかさ、温和さに惹かれる。
もう1点,No.57≪高嶋おひさ≫とあわせ、今回のマイベスト。
No.27 歌川豊国≪三世沢村宗十郎の大星由良之助≫
「何やら嫌な予感がする」とは、まさしくこの表情。
No.9 歌舞伎堂艶鏡≪三世市川八百蔵≫
1795年、写楽の直後に現れて、半年ほどで姿を消した絵師。
知られている作品は7点の役者の大首絵のみ、「コレクターにとって高嶺の花」なのだそうだ。
2)写楽の役者絵
3)お江戸の人気力士たち
No.39 無款≪大童山≫(瓦版)
1794年、7歳で一人土俵入り。当時71kgの巨漢は大人気者で、本展でも写楽、勝川春英、栄松斎長喜による作品が展示。
一人土俵入りは1798年まで続き、一時期姿を消すが、1804年に再び登場、1805年に正式に入幕したという。
本作は、正式入幕時の18歳の姿。錦絵ではなく瓦版。かつての人気子役は、あの子役は今?の時代を経て、戯画になる。今は何キロ?
4)ミスお江戸
No.45 喜多川歌麿≪西ノ方関・浅草難波屋きた、東ノ方関・両国高しまひさ≫
当世の2大トップアイドルが、まさかの腕相撲対決!、とファンを萌えさせただろう1枚。
2 豊国の系譜 文化期以降-幕末まで
1)役者絵
No.111~120 歌川国貞≪楽屋錦絵二編 十枚之内≫から10点
10人の役者の舞台外の姿を描く、これまたファンを萌えさせただろうシリーズ。
No.111≪瀬川路考≫は、四代目瀬川のほか計4人の女形役者が楽屋で支度化粧をする光景。みんな女性にしか見えない。
なお、No.100~103 歌川豊国≪諸商人 五枚続≫から4点の「憧れのスターにはこんな仕事が似合うはず」シリーズも、ファンを萌えさせただろう。
2)美人画
No.70 歌川豊国≪両国花火之図≫
大判六枚組。
上段が、両国橋の上。花火と星空、密集する見物人。
橋の奥では花火の方を見ているのは男。我々に見せるのは、全員、後頭部のみ。
橋の手前は、ほぼ女性。我々に顔を見せるため、花火見学とは思えない方向に顔を向けている。この橋は、男女で見学場所を分けているのか?
下段は、両国橋の下、花火遊覧舟が行き交う状況。
No.85 歌川国芳≪八町づつみ夜のけい≫、No.86 同≪暑中の夕立≫
国芳の作品は違う。動きがある。
No.90 歌川広重≪東海道川尽・大井川の図≫
大井川の渡し風景。渡る客は女性ばかり。
No.89 歌川国周≪艶姿化粧自慢≫
アクロバットとも言い難い、不自然すぎる姿勢で化粧する女性。
3)肉筆画コーナー
以上10選。
会期末に滑り込み訪問。
これだけ楽しめるのだったら、もっと早く訪問すべきだったな。