没後100年
五姓田義松-最後の天才-
2015年9月19日~11月8日
神奈川県立歴史博物館
2008年に観た神奈川県立歴史博物館の展覧会「五姓田のすべて-近代絵画への架け橋」展~初代五姓田芳柳を祖とする五姓田派の画家たちを紹介する展覧会~がたいへん面白かった。
本展は、その展覧会でも取り上げられた、初代芳柳の次男である洋画家・義松の回顧展、ということで期待していく。
不安も2点。
1つはチラシのフレーズ「圧倒的なヴォリューム 総出品点数はなんと800点を超える大展覧会」。鑑賞途中で息切れしないか?
もう1つは、横浜に縁のない人生を送ってきた私、同博物館の宿命だろう強力な横浜推しにあてられ、鑑賞途中でダウンしないか?
窓口でのチケット購入の際、本展のクリアファイルを貰う。一気に気分をよくして入場する。あとでHPを確認すると、シルバーウィーク期間中の毎日先着100名限定のプレゼントとのことである。
〈展覧会HPより〉
1855 年
江戸に生まれる
1865 年(10歳)
年末頃、横浜のワーグマンに入門
1877 年(22歳)
第1回内国勧業博覧会で最高賞受賞
1878 年(23歳)
孝明天皇肖像を制作、北陸東海御巡幸に供奉
1879 年(24歳)
昭憲皇太后肖像を制作
1880 年(25歳)
横浜からフランスに向けて出航
どうやら義松の洋画家としての頂点は、この時期までのようだ。
以降、1880年から1889年まで約10年間のフランスなど欧米生活、帰国から1915年に60歳にて横浜で没するまで、「流行のうつりかわりの早さに流れ」、「絵を描くことを純粋に楽しんだ画家」と称するほかなくなる。
代表作がない。
出品されていないだけなのか。震災・空襲などで失なわれたのか。本当にないのか。
本展で唯一、印象に残ったのは、家族を描いた2点の油彩画。
本展で「2つの傑作の史的位置」として提示される《五姓田一家之図》と《老母図》。
特に、病床に伏す母親を描いた《老母図》は、母親を描いた4点の鉛筆画・ミニ油彩画とあわせての展示により、一層印象深くなる。
しかしこの油彩画2点は、明治8年、渡欧前の作品。
明治初期、誰もいなかった時代だから輝いた「天才」といったん理解しておく。
不安事項について。
1つめ:800は展示替えを含んだ数。大半が小サイズの鉛筆画・水彩画であり、サクサクっと見ていった。
2つめ:キャプションの一部に見受けられる程度で、きつさはなかった。