東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

「山本作兵衛展」(東京富士美術館)

2022年03月03日 | 展覧会(その他)
山本作兵衛展
山本作兵衛コレクション
ユネスコ「世界の記憶」登録10周年記念
2022年2月11日〜3月13日
東京富士美術館
 
 
 田川市石炭・歴史博物館および福岡県立大学が収蔵する「山本作兵衛コレクション」697点が、ユネスコ「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されたのが、2011年5月25日。それから10周年。
 
 私が山本作兵衛(1892-1984)の炭坑記録画をまとまった点数見たのは、登録の2年後の2013年に2回。
 東京タワー(特設会場)での展覧会は、個人蔵の作品からなっていた。
 埼玉県東松山市の丸木美術館での展覧会は、「坑夫・山本作兵衛の生きた時代〜戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現」と題し、作兵衛の個人蔵作品のみならず、作兵衛以外の描き手による炭坑を描いた絵画作品や各産炭地の主要石炭会社の写真帖など、各地の炭坑をめぐる幅広い視覚表現を対象としていた。その図録に実質的に相当すると思われる書籍『山本作兵衛と炭坑の記録』が平凡社コロナ・ブックスの1冊として、展覧会終了の1年強後に刊行されている。
 
 この2展覧会に出品された作兵衛の作品は、すべて個人蔵。つまり、世界記憶遺産登録の対象とはなっていない(だからといって価値が劣るというわけではないだろうが)。
 
 私的には9年ぶりに見る今回の作兵衛展は、世界記憶遺産登録の対象である田川市石炭・歴史博物館所蔵の原画78点を中心とする。「登録後初めて東京で展示公開」だという。
 加えて個人蔵32点と開催館所蔵4点や、作兵衛作品を再現した博多人形8点も出品される。
 
【本展の構成】
1.地の底を掘る
2.ヤマの女性
3.ヤマの仕事
4.母子入坑ー筑豊の聖母子像
5.ヤマの生活ー日々の営み
6.ヤマの生活ー子どもたち
7.ヤマの風景
 
 
 若い頃に炭鉱の町にある雑貨店で働いていたという私の親戚は、炭鉱労働者の給料日はとにかく忙しかった、皆んな無性に何でも買いたがっていた、そんな思い出を話していた。計算すると昭和30年頃の話となるだろうか。
 
 その親戚よりも2世代くらい前の炭坑労働者であった作兵衛。
 
 作兵衛のいた筑豊炭鉱では、小規模炭鉱が多く、先山後山(採掘役と搬出役の二人一組)による夫婦共稼ぎの坑内労働が一般的であったという。
 作兵衛作品に描かれているが、仕事から上がれば、夫は、ゆっくり入浴して、それから晩酌する一方、妻は、あわただしく入浴を済ませて、晩酌準備や炊事などに追われる。
 そんな生活も、昭和3年(1928年)の女性の坑内労働禁止により変わる。女性は解雇され、会社が示した内職(採炭夫向けの作業用品を製作するミシン内職など)に従事するようになる。ただし、小規模炭鉱では戦後まで女性の坑内労働は続いていたという。(2020年の国立歴史民族博物館「性差の日本史」展より)
 
 そんなことを思い出しながら、炭丈によって立ち掘り/坐り掘り/寝掘りがあるとか、石炭層の目が採炭方向に対してマサ目(平行)/イタ目(直角)/カブリ目(上部が手前に飛び出している)/シリサシ目(下部が手前に飛び出している)かにより採炭の労苦が異なるとか、採掘した炭を入れた木製の箱や竹で編んだ籠を後ろから頭を使って押し上げる/籠に結んだ縄を肩にかけて引っ張り上げる/小さめの籠を天秤棒の前後につけて肩に担ぐとか、採掘や搬出労働の過酷さを見る。
 
 作兵衛は、本展では出品されていないが決して少なくなかっただろう炭坑事故に関連する作品や、本展では米騒動に関する作品が出品されているが、それ以外にも炭鉱町に止まらない社会情勢・風俗に関する作品も残したようである。
 全貌は、福岡県田川市の「山本作兵衛コレクション」サイトにて見ることができる。
 


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