![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/6c/a2d6eafbfc9d32731168a0149e5e6181.jpg)
永遠の都ローマ展
2024年1月5日〜3月10日
福岡市美術館
福岡でカラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》を観る。
東京都美術館のあと、福岡市美術館に巡回した「永遠の都 ローマ展」。
カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》が福岡会場限りの出品。
(福岡会場限りの出品は他に絵画2点。《カピトリーノのヴィーナス》は東京会場限りの出品。)
カラヴァッジョを求めて、羽田から日帰り旅行を敢行する。
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カラヴァッジョは、カピトリーノ絵画館の16世紀末から17世紀前半のイタリア絵画を主に紹介する、第4章「絵画館コレクション」の冒頭に展示される。
カラヴァッジョ(1571-1610)
《洗礼者聖ヨハネ》
1602年、129×95cm
カピトリーノ美術館 絵画館
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〈石鍋真澄氏『カラヴァッジョ ほんとうはどんな画家だったのか』より〉
概して薄暗いカピトリーノ美術館ではこの絵の真価はわかりにくい。
正直なところ、私がほんとうの意味でこの絵の真価を納得したのは、2018年のパリの展覧会で十分な光の下でじっくりと見たときであった。
疑いなく、カラヴァッジョの傑作の一つだ。
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画業中期の、実に見事な作品。
恵まれた環境下、じっくりと観る。
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カラヴァッジョ作品来日にはよくあることだが、青年のエロティックな裸体像がメインビジュアルだと、その取り扱いも難しそう。
カラヴァッジョの裏壁面。
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福岡会場限りの出品で「洗礼者聖ヨハネ」を描いた、絵画2点が展示される。
パルマで活動したフランドルの画家(16世紀後半)
《洗礼者聖ヨハネ》
16世紀末、49.5×39.5cm
カピトリーノ美術館 絵画館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/ec/b1af2cb27def5bc362a013472f465443.jpg)
グエルチーノ(1591-1666)
《洗礼者聖ヨハネ》
1645-49年、81×65cm
カピトリーノ美術館 絵画館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/92/bf3e3a40be00f4789af20cacc7287ccb.jpg)
以下、第4章の東京会場でも出品された作品から1選。
カラヴァッジョ派の画家(17世紀後半)
《メロンを持つ若者(嗅覚の寓意)》
1626-29年、76×61cm
カピトリーノ美術館 絵画館
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ルッカの画家ピエトロ・パオリーニの《五感の寓意》の右端の人物のみを写す。
〈参考:本展非出品〉
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/14/68ab05b5280d5fa0f15e1416c62c4b3c.jpg)
ピエトロ・パオリーニ(1603-81)
《五感の寓意》
1630年頃、125.1×173cm
ウォルターズ美術館
東京会場で鑑賞したときは、第4章は付け足しのようなもので、古代ローマ美術の展覧会だと思った。東京会場限りの《カピトリーノのヴィーナス》の威力も大きい。
福岡会場では、第4章がメインだと感じる。東京会場で古代ローマをたっぷり観たためであろうが、カラヴァッジョ作品のレベルが段違い、というのが大きい。
行ってよかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b3/815c70bc28a72706110433d7034c419c.jpg)
祭壇の火を暗示しているのだろうか。
Kさんのブログ(東京展のところ)を見て福岡展に洗礼者聖ヨハネが来ると知り、先週行って参りました。ありがとうございます。
直に見たカラヴァッジョの中では一番完成度が高いように思いました(時期的にも祭壇画が多く、自分の鑑賞歴が浅いのもありそうです)。素晴らしいですね。
また、図録にあるようにヨハネのモデルがチェッコという徒弟?であるというのは初めて聞きました。前回のカラヴァッジョ展の図録を掘り起こすと、サン・ビアージョ小路で同居、とありました。弟子はいないと思っていましたが、当時はただの使用人か愛人?だったのでしょうか。
コメントありがとうございます。
福岡にカラヴァッジョを見に行かれたのですね、同好の士がおられて嬉しいです。《洗礼者聖ヨハネ》は見事な作品でした。
カラヴァッジョより15歳くらい年下のチェッコについては、徒弟なのか、使用人なのか。カラヴァッジョが事件を起こしてローマを逃れたとき、それに同行したともいわれているらしいですね。
私的には、カラヴァッジェスキの画家としてのチェッコに興味があります。帰せられる作品は20点に満たないらしいですが、気になる作品が少なくありません。私が実物を見たのは、2001年東京都庭園美術館の「カラヴァッジョ展」に出品された《聖ラウレンティウス》のみですが、深赤色の衣装が印象的でした。
チェッコ、逃亡同行説もあったとは。。
来日歴もあるし今回の図録の記述のようにイタリアでフォーカスした展覧会が開かれるということは、かなり評価されている画家なのですね。
ウィキでパッと見てみましたが、いつか実際にお目にかかりたいものです。
コメントありがとうございます。
カラヴァッジョはもちろんのこと、チェッコなどカラヴァッジェスキの作品が、今後もいろいろな機会で多数来日してくれることを期待しています。
同展の監修者ジャンニ・パーピが2016年上野西洋美術館で開催されたカラヴァッジョ展の図録P111~に「カラヴァッジョと肖像画」という文章を寄稿していて、この中でカラヴァッジョがチェッコをモデルとして描いた(とパーピが考える)7点の現存する絵が取り上げられ、そのうちの1枚としてカピトリーノ美術館の洗礼者聖ヨハネも出ています。上記芸術新潮P96では「少なくとも6点にチェッコがモデルとして起用され」とあり、7点との差については、カラヴァッジョ作品として異論もあるウィーン美術史美術館のダヴィデとゴリアテだと思われます。
また、ベルガモでの展覧会に合わせ、ジャンニ・パーピはチェッコ・デル・カラヴァッジョをテーマにした本(雑誌)を出しています。イタリアGIUNTI社発行のART e DOSSIER 408号付録(2023年4月)で、私は持っていませんが、このシリーズでは以前ウフィツィ美術館の売店などで他の画家(ペルジーノやギルランダイオ、フィリッピーノ・リッピなど)数点を買ったことがあります。50ページの薄い本ですが、その画家についての専門家が執筆していて充実した内容です(付録の方だけでも買えます)。持っている人からの情報によれば、この中でもパーピは2016年上野展の図録と同様、カラヴァッジョがチェッコをモデルとして描いた7点の絵を取り上げているそうです。
https://giunti.jp/products/cecco-del-caravaggio-papi-gianni-9788809979277
(itをjpに変えて投稿していますので、itに戻してご確認ください。)
解説Descrizioneの部分は翻訳機能を使ってお読みください。
パーピがチェッコをモデルにカラヴァッジョが描いたとしている7点のうち、私が問題ありと思うのはボルゲーゼ美術館のダヴィデとゴリアテ(2019年に来日、名古屋)、ウィーン美術史美術館のダヴィデとゴリアテの2点です。ボルゲーゼの絵はカラヴァッジョの真筆として疑いのないものですが、チェッコをモデルとしているかどうかは疑問です。パーピは1606年の殺人・逃亡の前にチェッコをモデルに描いたとしていますが、ロベルト・ロンギを初め(石鍋氏も含め)多くの研究者はカラヴァッジョが亡くなる直前の1609~10年に恩赦への期待で描いた作品としています。上記芸術新潮の記事はパーピの監修による展覧会の紹介なので、この絵を1606年作としていますが、名古屋のカラヴァッジョ展図録でもロンギ説の1609~10年を採用し、ダヴィデのモデルについても「画家の自画像や画家に親しい人物の肖像を見る意見もある」というそっけない記載でチェッコの名前も出さずに、パーピの説に対しては冷淡な扱いです。1609~10年作の説に関して、当時のその他の記録による補強については石鍋氏の2022年の著書P506に出ています。パーピはチェッコ=モデル説に固執するあまり、1606年作としているのではないかという気がします。
ウィーンのダヴィデとゴリアテはカラヴァッジョの真筆かどうかで議論のある作品です。研究者の意見も半々であり、2001年発行のSpikeのカタログレゾネのように表紙にまでこの絵を使うほどの研究者もいる一方で、美術館での扱いが2016年頃に「カラヴァッジョ作品」という表記から「カラヴァッジョとカラヴァッジョ派」に変更されたそうです。また、2016年西洋美術館のカラヴァッジョ展監修者のVodlet氏は同展の出口付近に掲示されていたカラヴァッジョ真筆作品リストの中で「ルーアンのキリストの笞打ち」と「ウィーンのダヴィデとゴリアテ」をリストに入れていませんでした。逆に石鍋氏は2016年の「カラヴァッジョ伝記集」図50でこの絵について「確実とはいえない」としていましたが、2022年の著書では「真筆と考えられる作品」に入れています(P579のNo.29)。2016年にこの絵は修復されているので、何か発見があったのかもしれません。そしてそのことによって、以前ロンギが同じウィーンにあるロザリオの聖母とダヴィデとゴリアテを同じ頃の作品としたことが再度見直されたのか、また、カラヴァッジョ作品ではサウロの回心第一作とウィーンのダヴィデとゴリアテの2点だけがカンバスではなくサイプレス(糸杉)材を使っていることに関しての検討がなされたのか、何かの理由で再評価につながったのかもしれません。いずれにしても私がウィーンに行ったのが2016年であり、残念ながらこの絵は修復中で展示されていなかったので、今後また行く機会があればその時にしっかり見たいと思っています。
パーピがチェッコをモデルにしているとした残りの5点は次のとおりです。
「勝ち誇るアモル」ベルリン国立絵画館
「聖マタイの殉教」コンタレッリ礼拝堂(逃げる少年)
「洗礼者聖ヨハネ」カピトリーノ美術館
「イサクの犠牲」ウフィッツィ美術館(イサク)
「サウロの回心」オデスカルキ・コレクション(天使)
私見ですが、ウフィッツィのイサクの犠牲のうち、天使のモデルはウィーンのダヴィデと同じモデルではないか(つまりウィーンのダヴィデのモデルはチェッコではない)と思っています。
チェッコ・デル・カラヴァッジョにかかる詳しい情報をお教えくださり、ありがとうございます。
チェッコ・デル・カラヴァッジョについては、2001年「カラヴァッジョ展」の出品作やいくつかの作品図版を見て関心こそ持っていますが、調べるまでには至っていません。そんな私が言っても確実性はないですが、日本語資料としては、ご記載いただいたもの以外は認識していません。芸術新潮2023年6月号は、発売当初に図書館で立ち読みした程度ですので、改めて借りて読もうと思っています。
ウィーン美術史美術館所蔵のカラヴァッジョと言えば、2002年の東京藝術大学大学美術館の展覧会に出品された《茨の冠》の真筆性がどうかと長く思っていましたが、石鍋氏の2022年の著書にて、2001年に来歴が確認されたことにより、真筆と広く認められるようになっていることを認識したところです。
一方、《ゴリアテの首を持つダヴィデ》は、コメントをいただくまで、真筆性の議論があることを認識していませんでした。石鍋氏の2022年の著書では、本作についての記述はほとんどないようですし(ポプラ材に描かれたことくらい)。
チェッコ・デル・カラヴァッジョをモデルとしたカラヴァッジョ作品は、確実なところで5点、可能性としては他に2点ありうる、ということで認識しました。ボルゲーゼ美術館の《ゴリアテの首を持つダヴィデ》の制作時期は、2019年の名古屋市美術館の展覧会で観た印象だと、一般どおり、晩年とするほうがしっくりときます。石鍋氏は否定していないようですので、成長したチェッコが身近にいたと想像するのもおもしろい気がします。
ボルゲーゼにあるダヴィデとゴリアテのダヴィデのモデルがチェッコであるということに関して、Catherine Puglisiの「カラヴァッジョ」(Phaidon 1998年)に、同時代の似たような例として「フィレンツェのピッティ美術館にあるクリストファーノ・アローリ作ユディトとホロフェルネス(1610~12頃)のモデルが、ホロフェルネスの首はアローリ自身でユディトはその愛人だから、ボルゲーゼのダヴィデのモデルもカラヴァッジョの“愛人”チェッコである」と書かれています。
クリストファーノ・アローリとユディト&ホロフェルネスの絵については、下記ブログが参考になります。
https://note.com/digicreatorito/n/nd56c60a475f7
ネットで探すと、アローリとその工房作の同じ絵が英国のロイヤル・コレクションやヴァチカン絵画館など数点出てきます。また、このピッティの絵について若桑氏は超大型本フィレンツェの美術第6巻(小学館1973年)で「バルディヌッチの記録によれば、ユディトは画家の恋人マッツァフィルリ、下女はその母親」とあり、また、「切られた頭部に自画像を描くことは、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂天井画のユディトで描いている」とあります。ルネサンス・バロック期には切られた頭部に自画像、切った方に愛人を描くというケースは多かったのでしょう。
石鍋氏の2022年の本P297、417では「ジャンニ・パーピは1606年の逃亡にチェッコも同行したといっているが、その可能性は十分ありうると思う」としています。私も「同行した可能性」は高いと思います。それはフランチェスコ・ボネーリ=チェッコ説が正しいという前提で、1605年6月6日の人口調査でカラヴァッジョとフランチェスコが同居していたという記録があること(石鍋氏2016年の伝記集p223及び2022年の本P293。また、サン・ビアージョ小路のその家の地図はP354)、殺人事件は1606年5月28日で、人口調査から1年も経っていないためです。そしてカラヴァッジョは1605年7月に起こした別の事件でジェノヴァへ逃げ、ローマへ戻ってきてコロンナ広場の別の家に住んだ(2022年の本P357)とのことで、この短期間での移動にもチェッコは同行したと思っています。
しかし、ボルゲーゼのダヴィデのモデルがチェッコであるかどうかは別問題で、パーピが主張する「1606年作でモデルはチェッコ」説はチェッコの年齢と絵の様式・作風で無理があると思います。成長したチェッコが1610年頃にナポリ辺りで身近にいた可能性があるかどうかは、今後の研究や新資料の発見に待ちたいと思います。パーピは2016年の上野カラヴァッジョ展図録P111で、「(モデルとしての)チェッコを最後に確認することができるのは18歳頃の姿で、ナポリにいたカラヴァッジョが1606年から07年に制作したウィーンのダヴィデ」としていますが、ウィーンの絵の制作年代は諸説あり、モデルも他の5点の絵ほどチェッコと似ているとは思えないので、これも無理な想定という気がします。
ウィーンのダヴィデとゴリアテの制作年代については、研究者によって幅があり、従来は1607年説が多かったようですが、石鍋氏の2022年の本P253に書かれている「ウィーンのロザリオの聖母が、従来言われていたナポリ逃亡後ではなく、最近では1601~03年のローマの時代に描かれた」とされたことに連動して、ロンギが以前主張していた「ウィーンのダヴィデ&ゴリアテとロザリオの聖母は同じ頃の作」という考えが再評価された結果、石鍋氏もウィーンのダヴィデとゴリアテを1600~01年作と考えたのだろうと思います。そして、この絵と聖パウロの回心第一作(オデスカルキ・コレクション、1600~01年)の2点だけがカンヴァスではなく板に描かれていることも、同じ頃の制作なら説明がつきやすいだろうと思います。
なお、2016年のウィーンのダヴィデとゴリアテ修復に関しては、芸術新潮2016年11月号クラーナハ特集のP67に、担当した修復家が日本製のノコギリを持ってこの絵の前に立っている写真が出ています。このページは来日したクラーナハのユディトとホロフェルネスの修復に日本製のノコギリが役に立ち、この修復がなければ湿度の高い日本に出すことはできなかった、という話ですが、写真の説明でカラヴァッジョの絵については、「カラヴァッジョとカラヴァッジョ派による」と書かれているので、修復によってカラヴァッジョ自筆という評価から少し後退したのかと思っています。この件はもう少し詳しい情報を知りたいところです。
コメントありがとうございます。
ウィーンのダヴィデとゴリアテについては、実見したことはなく、これまで特段関心を持ったことはありませんでしたが、真筆かどうかの議論があることを認識しました。
芸術新潮2016年11月号はまだ見ていませんが、そこに書かれているという「カラヴァッジョとカラヴァッジョ派」という表記には引っかかります。
美術館サイトの本作品の解説を見ると、「作者」は「カラヴァッジョ」とあり、「KULTUL(文化)」が「Caravaggio und caravaggeske Malerei」と表記されています。
「KULTUL(文化)」が「Caravaggio und caravaggeske Malerei」との表記は、他2点のカラヴァッジョ作品やリベラ、ミンニーティなどカラヴァッジェスキの作品でも共通しています。芸術新潮における作者名の表記はここから来たのでは、と想像しました。
芸術新潮は後日確認したいと思いますが、美術館の帰属見直しについては、もう少し詳しい情報を知りたいですね。
同ページではVERLEUGNUNG PETRI(ペテロの否認)とエマオの晩餐のみ「Nachfolge: Michelangelo Merisi, gen. Caravaggio」(ミケランジェロ・メリージ、通称カラヴァッジョの後継者)となっていて、これがカラヴァッジェスキのことかと思います。
https://www.khm.jp/objektdb/?id=11227&L=0&q%5B%5D=Caravaggio+und+caravaggeske+Malerei&view=0&facet_date=-4500%3B2024&sort=score%3Adesc
(atをjpに変更して投稿していますのでatに戻してご覧ください)
これを見た限りでは、芸術新潮2016年11月号掲載のダヴィデに付けられた「カラヴァッジョとカラヴァッジョ派による」という表記は、芸術新潮の記者が誤解して書いた(2016年の修復でカラヴァッジョ派作と評価が下がったのではない)ということかもしれません。
なお、ホームページ上でKULTUL(KULTUR?)という分類がどこにあるのか、よく分らないので教えてください。
取り急ぎご質問に返信します。
各作品に表示される「OBJEKTDATEN」の項目の一つです。
KULTURが正です。失礼しました。
参考までに、ダヴィデとゴリアテの「OBJEKTDATEN」をコピーすると。
OBJEKTBEZEICHNUNG
Gemälde
KULTUR
Caravaggio und caravaggeske Malerei
DATIERUNG
um 1600/01
KÜNSTLER/IN
Michelangelo Merisi, gen. Caravaggio (1571 Mailand - 1610 Porto Ercole) - GND
MATERIAL/TECHNIK
以下、省略
以上、よろしくお願いいたします。