没後50年 鏑木清方展
2022年3月18日〜5月8日
東京国立近代美術館
開幕直後の土曜日午後、および福富太郎コレクションからの出品作が揃った時期の土曜日午後と、2度訪問する。
混雑を懸念したが、たまたまなのか、2度ともそれほどでもない。
印象に残る作品3選。
1 《讃春》
1933年、宮内庁三の丸尚蔵館
昭和天皇の即位式を記念して、三菱財閥の岩崎家が日本画家5名に献上品の制作を依頼し、1929(昭和4)年から1935(昭和10)年にかけて5双の屛風を献上する。
清方の本作は、1928年注文、1933年完成、同年皇室に献上。
右隻は、坂下門を望む皇居前広場を背景に、雙葉女学校のセーラー服姿の女学生2人が憩う姿を描く。
たんぽぽの咲く芝生。広場奥には黒い箱形自動車、おそらく2人の送迎なのだろう、車内で運転手が待機中。モデルの一人(帽子でほぼ顔が見えない座っているほう)は、清方の長女の義妹で、現役の雙葉女学校生であったという。
左隻は、隅田川と関東大震災からの復興を象徴する清洲橋を背景に、船上生活者の母子のつつましい生活の様子を描く。
モダンな存在感を示す清洲橋。おかっぱの幼女。船上に飾られる桜。
清方には珍しいと思われる同時代もの。
春らしいやさしい色彩の美しい画面と、歴然とした貧富の格差、その落差に戸惑う。
2 《朝涼》
1925年、鎌倉市鏑木清方記念美術館
他の女性像(美人画)とは趣きがまったく異なる、清涼感あふれる少女の横姿。
モデルは、清方の長女の清子16歳。
3 《夏の生活》&《金沢絵日記》
1919年&1923年、鎌倉市鏑木清方記念美術館
金沢八景にある別荘での家族での避暑生活を描いた微笑ましい折帖2点、全29図&全20図(場面替えあり)。
会場内では、清方の肉声が流される。
1954年10月にNHKラジオで放送されたインタビュー。
「嫌いなものは描けない。」
「いくさは描かない。」
「戦争中は美人画ばっかり描いていた。」
「空襲警報が出ると、意地になって、美人画を描いていた。」
「かすかなる反抗なんでしょうね。」
戦後9年、戦争の記憶が生々しい頃。
年配で大御所の日本画家であった人がこういうことを言う。
4/10まで出品の《初東風》1942年、東京国立近代美術館は、私には美人画には見えない。
日本画に疎く、長らく鏑木清方に特段興味を持ったことはない私、それでもこれまでの鑑賞歴で、次の3作品が印象に残っていた。
本展ではいずれも通期出品。
《一葉》1940年、東京藝術大学
重文《三遊亭圓朝像》1930年、東京国立近代美術館
《幽霊》1906年、全生庵
《幽霊》は、2017年に、関東大震災以来94年ぶりに所在が確認され、全生庵の所蔵となり、毎年恒例の8月の「三遊亭圓朝コレクション・幽霊画展」にて《茶を献じるお菊さん》との題で公開された作品。
その後、2021年の東京国立近代美術館「あやしい絵」展での福富太郎コレクションの作品のうち、《妖魚》1920年 が加わる。
本展での福富太郎コレクションからの出品は5点。
「あやしい絵」展(3点の出品)と重なるのは《薄雪》1点。
東京ステーションギャラリー「コレクター福富太郎の眼」展(13点の出品)と重なるのは《薄雪》を含む3点。
《道成寺(山づくし)鷺娘》1920年 が、両展に出ておらず、本展には出ている。
本展は、京都国立近代美術館に巡回する。
東京ではテーマ別の展示だが、京都では時系列の展示となるとのこと。
【東京展の構成】
第1章 生活を描く
特集1 東京
第2章 物語を描く
特集2 歌舞伎
第3章 小さく描く
私的には、時系列、特に深刻小説を愛読した影響を受けた初期作品を固めた展示から始まるほうがとっつきやすいかも。