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NHK8K ルーブル美術館
美の殿堂の500年
2021年4月、NHK出版
ルーヴル美術館が所蔵する名品42点が、「高品質画像」にて小池寿子氏と三浦篤氏の対談とともに紹介されている。
そのなかで1点、その作品の存在も作者の名前も初めて知った作品。
「菩提樹から彫り出された聖女」
グレゴール・エアハルト
《聖マグダラのマリア》
1510年、ルーヴル美術館
実物はどんな感じか分からないが、多彩色で、ずいぶんエロティックそうな彫刻。
ドイツ・アウグスブルクのドメニコ会修道院のサンタ・マグダレナ教会に設置されていた(おそらく)とのことだが、こんなエロティックそうな彫刻を教会に置くものなのか。
この彫刻は、元来は、天使の彫刻群に支えられて、本体は楕円形の金属枠内に設置され、教会堂の穹窿(丸みをつけた天井)から吊り下げられていたとのことなので、現在のように美術館で単独像を見るのとは受ける印象がずいぶん違うのかもしれない。
作者のグレゴール・エアハルト(1470頃〜1540)は、「彫刻史の中でもあんまり存在感がない」らしい。
小学館『世界美術大全集西洋編14 北方ルネサンス』では、同じく彫刻家である父親のミシェル・エアハルト(1440/45〜1522)の作品についてはカラー図版付きで紹介しているが、息子グレゴールについては全く触れていないようだ。
ルーヴル美術館が所蔵しているから、名前や作品が知られているという感じだろうか。でも人気作品であるようだ。
聖マグダラのマリアは、聖母マリアの昇天後、地中海を渡って南仏(マルセイユまたはサント=マリー=ド=ラ=メール)に辿り付き、晩年はサント=ボームの洞窟で苦行に臨みながら生涯を終えたと伝承される。加えて、洞窟での苦行に際しては、衣類を身につけず、長い髪で自らの体を覆っていたと伝承される。
しかし、本彫刻の髪は、体をほとんど覆うことができていない。
後姿は。
後側は「ミニ」。短かずき。
ルネサンス期の巨匠による聖マグダラのマリア像を確認する。
ティルマン・リーメンシュナイダー(1460頃〜1531)
《聖マグダラのマリア》
1490/92年、バイエルン国立博物館(ミュンヘン)
中世ドイツを代表する彫刻家。ヴュルツブルクで主に活動。
全身が覆われているのは確かだが、髪ではなくて、体毛に覆われているように見えるのが不気味。
ドナテッロ(1386〜1466)
《聖マグダラのマリア》
1450年代、ドゥーモ附属美術館(フィレンツェ)
イタリア初期ルネサンスを代表する彫刻家による晩年の代表作は、先の2点とは違って、歳をとった聖女。
全身が覆われているが、髪だけではなく、ずっと身につけていてボロボロになった衣も加わっているように見える。リアリズム。
さて、グレゴール・エアハルト《聖マグダラのマリア》であるが、本書では、第2次世界大戦中にナチス・ドイツに押収されたことに触れている。
以下の状況であったようである。
フランス国有コレクションのドイツ系作品を狙うヘルマン・ゲーリングは、フランスに対して「作品交換計画」を提示する。
《聖マグダラのマリア》は、その最初の希望リストに挙げられたルーヴル所蔵作品2点のうちの1点。
「ドイツ人であるうえにヌードである」ために、ゲーリングの好みに合ったという。
フランスは、ドイツからの希望リストのうち、クリュニー中世美術館所蔵の《バーゼル大聖堂の祭壇前飾り》については交換を拒絶し、本彫刻を含むルーヴル2点については交換を応諾する。
後に交換作品として送られてきたのはゲーリングのコレクションにあった何点かの二流作品(うち1点はパリの個人コレクションから押収された作品)だったという。
戦後、ゲーリングの家から発見され、1948年にルーヴル美術館に戻る。
このエピソードも含めての人気作品なのかもしれない。