ゴッホ展
巡りゆく日本の夢
2017年10月24日〜18年1月8日
東京都美術館
第1部 ファン・ゴッホのジャポニスム
3 深まるジャポニスム
《アルルの女(ジヌー夫人)》
1890年
ローマ国立近代美術館
明るく軽めの背景。
この絵に対するイメージとずいぶん異なるので、あれっと思って所蔵者を見ると「ローマ」。ちょっと驚き。わざわざイタリアからフランス印象派の絵画を借りてくるのは、珍しいのではないか。ただ、本作は日本初公開ではないようであるが。
モデルは、マリー・ジヌー(1848-1911)。アルルのカフェ「カフェ・ドゥ・ラ・ガール」を夫とともに経営していた。
ゴッホは、5月に「黄色の家」を借りるが、住み始めるのは諸整えがあって9月のこと。それまでの間は「カフェ・ドゥ・ラ・ガール」に泊まっていた。
ゴッホがジヌー夫人を描いた作品は6点残る。
うち2点はゴーギャンとの共同生活時代の作品。ゴーギャンもジヌー夫人を描いた作品を残している。
うち4点はゴーギャンによる素描をもとにサンレミ時代に制作したとされる作品である。
「カフェ・ドゥ・ラ・ガール」の内部を描いた作品も残されている。
9月、黄色い家に移る前、「無駄な金をたくさん支払わせた恨みを晴らすため、僕への払い戻しという意味で彼の薄汚ないぼろ屋の全景を描かせろ」と描いた作品である。
同作について、ゴッホは「この絵は僕が描いたなかで最も醜いものの一つ」「僕は赤と緑をもって人間の恐るべき情念を表現しようと努めた」とテオへの手紙で述べている。
なお、名作の誉れ高いクレラー=ミュラー美所蔵《夜のカフェテラス》は、ジヌー夫人のカフェではなく、アルルの別のカフェを描いたものである。
以下、ジヌー夫人関連作品を挙げる。
《夜のカフェ》
1888年9月
イェール大学美術館
《アルルの女(ジヌー夫人)》
1888年11月
メトロポリタン美術館
《アルルの女(ジヌー夫人)》
1888年11月
オルセー美術館
ゴーギャン
《アルルの夜のカフェ(ジヌー夫人)》
1888年11月
プーシキン美術館
《アルルの女(ジヌー夫人)》
1890年2月
クレラー=ミュラー美術館
《アルルの女(ジヌー夫人)》
1890年2月
ローマ国立近代美術館
《アルルの女(ジヌー夫人)》
1890年2月
サンパウロ美術館
《アルルの女(ジヌー夫人)》
1890年2月
個人蔵
《ムスメの肖像》
1888年
葦ペン・茶および黒インク・鉛筆、紙
プーシキン美術館
前期(〜11/26)のみの出品。
1888年7月にアルルの少女をモデルにして、唇を尖らせた東洋的な容貌に描いた油彩画の完成作は、さすがに出品されていない。
油彩画完成作
《ムスメの肖像》
1888年
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
しかしながら、3点残されているという素描のうち、プーシキン美術館所蔵の素描の出品は非常に嬉しい。さすが国際共同プロジェクト。ベルナールに送ったものだという。
ところで、君は「mousmé(ムスメ)」が何のことか知っているかな(ロティの『お菊さん』を読んでいればわかるのだが)、僕はそれを一枚描いたところだ。これにはまる1週間を費やしてしまった。体の調子がまたあまりよくなかったのでほかのことは何もできなかった。全くうんざりされられるよ。体調さえよかったら、その間にさらに風景をいくつかやっつけただろうに。でも、僕の『ムスメ』を首尾よく処理するために頭脳の力を温存しなければならなかったのだ。ムスメというのは12歳から14歳の日本の――今度の場合はプロヴァンスだが--少女のことだ。これで手元にある人物画はズワーヴ兵のと彼女のとで2点になる。
[中略]少女の肖像はヴェロネーズグリーンの色を強く帯びた白を背景にしており、胴着は血紅色と紫の縞模様。スカートはオレンジ=黄の大きな斑点のついたロイヤル・ブルー。艶のない肌は黄灰色、紫がかった髪、黒い眉、そして睫毛。オレンジ色とプルシャン・ブルーの目。指の間に夾竹桃の枝が一本。二本の手を描きこまれているので。
ゴッホからテオへの手紙(1888年7月25日頃)『ファン・ゴッホの手紙』(みすず書房刊)より。
(続く)