先日、母の入所している老人施設から弟を通じて
母が嚥下困難で食事が出来ないという連絡が入った。
ものを口にしなくなってすでに3日、
これから先、どうしようかという事を
姉弟で協議をした結果、「胃ろう」という結果になった。
胃ろう・・・12年前に初めて聞いた言葉。
義母も数年前同じ道をたどっている。
義母の場合は、
たまたまショートステイで施設に入っており、立とうとして
転び、そのまま食事も取れないほどになってしまい、
入所者ではないので自宅につれて帰り、先ずは点滴で命の確保。
経鼻栄養を試みる。
しかし、気持ちが悪いのか自分で抜いてしまって
身体や敷物がべたべたになったこと数多く。
吸引もしなければならなかった。
管を入れるコツをしっかり把握した私ですが
それでも伸びてくる手には閉口しました。
やむなく手をしばりることも・・・
虐待に近い行為・・いや完全に虐待でした。
訪問看護師が来ないときは私が吸引をやっていました。
家族なら良いらしい~
そういえば点滴の薬も私が変えていた・・・
熱が出れば変えたときに感染症を起こさせてしまったのではないかとか、吸引の時に喉に傷をつけた?など、
あの時は本当に怖かった・・
しかし、経鼻栄養にかなり神経をすり減らしていた私を
訪問看護師が気にして下さり、胃に穴を開ける方法もありますよと一言。
主治医から「胃ろう」お話があり、本人に手術をするか否かの意思確認をしたいとの事。
主治医は家族が取り囲むベッドの義母に向かって
「Kさん、もっと生きたいですか?」と聞いた。
「ああ~」とも「ぅお」とも言葉にならない声が発せられた。
それはため息にも聞こえた。
主治医は「いま、Kさんからお返事がありましたので
胃ろう造設を行います。明日、ベッドが空き次第
連絡を入れます。」
そして2003年5月まで義母は胃からの経管栄養で命を
つないでいた。
ぴっかぴかの顔、艶々の肌、丸々としたお尻、
髪も黒くなってきました~凄い若返り!
約、1年の自宅介護生活でした。
その後、老人施設と病院を往復し、最後は息をするのを忘れたかのように本当に静に静に
蝋燭の灯が消え入るように命の灯が消えてゆきました。
私はいま、同じように命の選択を迫られました。
最後は私の意見で全てが決まってしまうような。。
ある書物で
「尊厳死と尊厳生」を読みました。
母の命は誰が決める?
その時の私の心の葛藤を書き、記したいと思います。
最後まで読んでくださって有り難う御座います。
家の母は90歳になりました。去年、脳梗塞で入院して、入院中はもう死んでしまうんだ!という思いで塞ぎこんでいました。ある程度元気になるまで何を言っても通じていかないものです。
今はすっかり元気になってはいるけど、年齢的にいつ死んでもおかしくない、という思いで時々塞ぎこんでいます。
今日も病院へ連れて行って、「ちゃんとお薬のんで、寝込まないように上手に生きて行きなさい」って言ってやりました。
だんだんものを考えるのが苦手になってきているけど、これは分かったみたいです。
病院嫌いで連れていくのにいつも困っているのですが、次回通院日までこの思いが続くやらです。
尊厳死と尊厳生ですか~
今は簡単には死ねない・・そうだから、
生かされることの意味を考えたいと思います。
ぴあのんさんは優しい方ですね。
尊厳死と尊厳生…医学の発展とともに…ますます…難しい問題になってきた気がします。
基本的には…自分自身は…若い人たちの迷惑にならない…終わり方を…したいのですが…こればかりは…自分の意思だけでは…どうにもならないことが…多いですものね。
いつまでたっても子供の心配ばかりしてね~
大変だったと思うよ。
さえさんのお母さんも90歳かぁ~
超高齢なんだね。
でも、しっかりしていらっしゃるようで
それがいいのよ。
きっと長生きされるよ。
寿命の一言で片づけられない神秘性とか
仏さまの世界、神さまの世界、
我々凡夫はしれに従うしかないのよね~
尊厳生・・・それもありなん!
思いますが、今はそう言っていても、いざとなれば気持は変わるかもしれませんね。
その時は何も話せなくなっていたとか・・
最近、特に考えることが多くなった私です!