○2日目
横浜の山下公園前のホテルに宿泊していました。
朝食はバイキング。
早速食べに行ってみましたら、すでに皆さん食べてました。
思ったよりお酒も残っていなくて、
お腹空いていました。
と言うわけで、洋食な感じで結構食べてしまった。
バイキングだと食べちゃうんだよね~~。
朝食もしっかり取りまして、さっそく研修先へと向かいました。
羽田空港にありますJALの機体整備工場。
http://www.jal.co.jp/kengaku/
昨日は宇宙で今日は空!
規模は小さくなったけど、それでも浪漫を感じます。
案内をして頂くお姉さんが同行しまして、
まずは部屋に入り色々と説明してくれます。
飛行機の飛ぶ原理とか、どんな素材で出来ているとかね。
色々と説明を受けた後は、整備工場内へGO!
ヘルメット着用!!
何だかわくわくしますね~~。
なかなか飛行機が整備している姿も見れないし、
間近で飛行機を見れないですしね~。
しかしまぁ色んな部品がありますね~。
どれがどこに装着しているのかわからないっすね。
工場内から飛行機の着陸も見れました。
だいたい2分間隔で飛行機が下りてきます。
着陸態勢に入っている飛行機の後ろには、
また違う飛行機が着陸態勢に入っている。
そのまた後ろにも・・・・。
まぁ何だか興奮しちゃいました。
さて、整備工場を後にしてからは、
羽田空港内で昼食を取りまして、
お次は靖国神社へと向かいました。
初めて訪れましたけども、一度は来たかった場所です。
歴史的な資料・展示物と共に、
戦争で亡くなった方達の写真も貼られています。
こういった現実にあったことを忘れてはいけませんね。
特攻隊員の若い方達が出撃する前に仲間達と
「靖国神社の門から2本目の桜の下でまた皆集まろう」
と誓い合って出撃したと資料を見まして、
実際にその桜もありました。
特攻部隊の名前から「神雷桜」と呼ばれてます。
色々と靖国問題とか言われているけど、
ここは行った方が良いですよ。
お偉いさんもさ。
+++++++++++++++++++++++++
焼き払い計画を止めさせたカトリック神父の言葉
日本終戦後も靖国神社が存続したことについて、以下のような逸話が語られている。
1945年に日本を占領したGHQは、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter、英語読みでビッターとなっている場合あり)神父に意見を求めることになった。
ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の侵略政策と相容れない犯罪行為である」とまで言ったという。そして次の言葉で締め括った。
「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、 靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」[要出典]。この進言により靖国神社は焼き払いを免れたという。
++++++++++++++++++++++++++
とまぁ2日目はこんな感じで群馬に帰りました。
帰ってから下山祝いしましたけど。
色々と見ることが出来て良かったですよ。
横浜の山下公園前のホテルに宿泊していました。
朝食はバイキング。
早速食べに行ってみましたら、すでに皆さん食べてました。
思ったよりお酒も残っていなくて、
お腹空いていました。
と言うわけで、洋食な感じで結構食べてしまった。
バイキングだと食べちゃうんだよね~~。
朝食もしっかり取りまして、さっそく研修先へと向かいました。
羽田空港にありますJALの機体整備工場。
http://www.jal.co.jp/kengaku/
昨日は宇宙で今日は空!
規模は小さくなったけど、それでも浪漫を感じます。
案内をして頂くお姉さんが同行しまして、
まずは部屋に入り色々と説明してくれます。
飛行機の飛ぶ原理とか、どんな素材で出来ているとかね。
色々と説明を受けた後は、整備工場内へGO!
ヘルメット着用!!
何だかわくわくしますね~~。
なかなか飛行機が整備している姿も見れないし、
間近で飛行機を見れないですしね~。
しかしまぁ色んな部品がありますね~。
どれがどこに装着しているのかわからないっすね。
工場内から飛行機の着陸も見れました。
だいたい2分間隔で飛行機が下りてきます。
着陸態勢に入っている飛行機の後ろには、
また違う飛行機が着陸態勢に入っている。
そのまた後ろにも・・・・。
まぁ何だか興奮しちゃいました。
さて、整備工場を後にしてからは、
羽田空港内で昼食を取りまして、
お次は靖国神社へと向かいました。
初めて訪れましたけども、一度は来たかった場所です。
歴史的な資料・展示物と共に、
戦争で亡くなった方達の写真も貼られています。
こういった現実にあったことを忘れてはいけませんね。
特攻隊員の若い方達が出撃する前に仲間達と
「靖国神社の門から2本目の桜の下でまた皆集まろう」
と誓い合って出撃したと資料を見まして、
実際にその桜もありました。
特攻部隊の名前から「神雷桜」と呼ばれてます。
色々と靖国問題とか言われているけど、
ここは行った方が良いですよ。
お偉いさんもさ。
+++++++++++++++++++++++++
焼き払い計画を止めさせたカトリック神父の言葉
日本終戦後も靖国神社が存続したことについて、以下のような逸話が語られている。
1945年に日本を占領したGHQは、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter、英語読みでビッターとなっている場合あり)神父に意見を求めることになった。
ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の侵略政策と相容れない犯罪行為である」とまで言ったという。そして次の言葉で締め括った。
「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、 靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」[要出典]。この進言により靖国神社は焼き払いを免れたという。
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とまぁ2日目はこんな感じで群馬に帰りました。
帰ってから下山祝いしましたけど。
色々と見ることが出来て良かったですよ。