倶利伽羅峠の戦いゆかりの地
富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠を中心に倶利伽羅峠の戦いゆかりの地をまわってみました(2024年2月24日)。
石動駅から埴生護国八幡宮に向かい、そこから倶利伽羅峠に向かいました。
埴生護国八幡宮は、戦いの前に源義仲が戦勝を祈願したところと言われています。
猿ヶ馬場は、平維盛が本陣を敷いたところと言われています。
埴生護国八幡宮(1)
埴生護国八幡宮(2)
源義仲公の騎馬像
矢立
塔の橋
平維盛が本陣を敷いたところ
倶利伽羅峠の戦いゆかりの地
富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠を中心に倶利伽羅峠の戦いゆかりの地をまわってみました(2024年2月24日)。
石動駅から埴生護国八幡宮に向かい、そこから倶利伽羅峠に向かいました。
埴生護国八幡宮は、戦いの前に源義仲が戦勝を祈願したところと言われています。
猿ヶ馬場は、平維盛が本陣を敷いたところと言われています。
埴生護国八幡宮(1)
埴生護国八幡宮(2)
源義仲公の騎馬像
矢立
塔の橋
平維盛が本陣を敷いたところ
倶利伽羅堡
石川県河北郡津幡町倶利伽羅にある倶利伽羅堡(別名は倶利伽羅城)に行ってきました(2024年2月24日)。
日本城郭大系にも掲載されていましたが、五社権現のあたりになるとのことです。
ただ、現在見ることが出来る遺構は、倶利伽羅峠の戦いのときのものではなく、戦国時代のものになるのではないかとのことでした。
倶利伽羅城の位置
五社権現(1)
五社権現(2)
倶利伽羅権現石殿の説明板
猿ヶ堂
源氏ヶ峰城
富山県小矢部市松永にある源氏ヶ峰城に行ってきました(2024年2月25日)。
最寄駅は、IRいしかわ鉄道の倶利伽羅駅(石川県)かお隣駅のあいの風とやま鉄道の石動駅(富山県)になります。どちらからでも1.5時間ほど歩きます。
倶利伽羅峠の戦いの前に源義仲が戦勝を祈願したと言われる埴生護国八幡宮にも行きたかったので、石動(いするぎ)駅から埴生護国八幡宮を経由して源氏ヶ峰城、倶利伽羅堡に訪れ倶利伽羅駅にたどり着くというコースを選択しました。
日本城郭大系によると、源氏ヶ峰という山の名の由来は、倶利伽羅峠の戦いで平氏の軍勢が陣を構えていたところを源義仲が攻め落としたため、里人が「源氏ヶ峰」と呼ぶようになった(『越中古城記』)とも、猿ヶ馬場に布陣した平氏軍に対して源氏方がこの峰に布営築堡したことからそう呼んだ(『三州志』)とも伝えられているとのことです。
ただ、現在見ることが出来る遺構は、平安末期の源平合戦当時のものではなく、戦国期のものではないかとのことでした。
源氏ヶ峰城の登城口の位置
登城口
登城口の説明板
展望台
3郭(現地の説明板だとB郭)
3郭に建てられている「源氏ヶ峰」の碑
3郭に建てられている説明板
主郭
主郭に建てられている標柱
主郭と2郭(現地の説明板だとE郭)の間の空堀
2郭(現地の説明板だとE郭)
2郭(現地の説明板だとE郭)の先の大堀切を上から
地獄谷の説明板
地獄谷