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若槻山城(2023年10月16日)

2023-10-25 12:28:28 | 日記

若槻山城

長野県長野市若槻東条城にある若槻山城(別名は若槻城、三登山城)に行ってきました(2023年10月16日)。

若槻山城から少し奥に登ったところにある番所と、少し下ったところにある堂沢出城のセットでまわりました。

長野駅前から東長野病院行のバスに乗り、蚊里田神社前のバス停で降りて、そこから少し戻ったところに三登山トレッキングコースの入口があるので、そこから登りました。道はトレッキングコースとして整備されているようで、非常に歩きやすい道でした。ところどころに標識もあるので、迷うことなく若槻山城にたどり着きました。

ここは、五の郭、四の郭、三の郭、二の郭、主郭と段曲輪状になっており、二の郭と主郭が土塁で囲まれています。主郭には城址碑と説明板が建てられています。

この城は、現地の説明板によると源義家の孫である源頼隆(若槻頼隆)によって築城されたと言われています。また、戦国時代には甲越合戦に巻き込まれて、上杉氏による改修が行われているとのことです。

主郭の背後には二条の堀切があります。このうち最初の堀切は、深くて見応えがあります。堀切から更に進んで登っていくと番所跡になります。

また、若槻山城から少し降りたところには、堂沢出城がありますが、現地の説明板によると平成15年に地元の若槻小学校の6年生の子が見つけたとのことでした。確かに郭と思われるものがありました。よく見つけたなと思いました。

五の郭

四の郭

三の郭

二の郭

主郭

主郭の土塁

主郭からの眺望

城址碑

説明板

説明板の縄張図を抜粋

主郭背後の堀切(一条目)

主郭背後の堀切(二条目)

番所跡

主郭背後の堀切(一条目を逆側から)

堂沢出城の説明板

堂沢出城の郭


木曽福島散策(2023年10月15日)

2023-10-24 05:15:24 | 日記

木曽福島散策

城跡以外にも、以下のとおりいくつかまわってみました。

  1. 大手橋
  2. 山村代官屋敷
  3. 興禅寺
  4. 義仲館
  5. 徳音寺
  6. 宮ノ越宿本陣
  7. 明治天皇宮ノ越御膳水

 

大手橋

中山道から山村代官屋敷に渡る橋で、江戸時代は御屋敷前橋と呼ばれており、明治になって大手橋と呼ばれるようになったとのこと。

現在の大手橋は、昭和11年に架けられたものです。中島武博士が設計した世界初となる鉄筋コンクリートローゼ橋になるそうです。日本初のローゼ橋にもなるそうです。

このため、平成14年に土木学会選奨土木遺産に認定されています。

 

山村代官屋敷

山村氏は、はじめは木曽氏の重臣でしたが、江戸時代のはじめに木曽谷の徳川直轄支配を任される木曽代官となり明治まで木曽谷を支配していました。

下屋敷は現存になります。

 

興禅寺

木曽氏、山村氏の菩提寺となっている臨済宗妙心寺派のお寺で、木曽義仲を含む木曽氏の墓があります。また、木曽代官を務めた山村氏の墓もあります。

木曽氏第12代の木曽信道公が開基となります。

 

義仲館

宮ノ越駅から歩いて数分のところにあります。ここには、よく見られる木曽義仲公と巴御前の像が建てられています。残念ながらを時間が遅かったため閉館でした。

 

徳音寺

臨済宗妙心寺派のお寺で開基は木曽義仲公で、木曽義仲公、巴御前、木曽義仲公の母である小枝御前、の墓、義仲四天王の樋口兼光、今井兼平の墓があります。

本堂の前には巴御前の騎馬像が建てられています。

 

宮ノ越宿本陣

中山道の宿場町であった宮ノ越には、本陣、脇本陣が設けられていました。明治13年には明治天皇も訪れています。

 

明治天皇宮ノ越御前水

明治13年に明治天皇が本陣で休憩された時に、この井戸出汲んだ水でお茶を献上したとのことです。

大手橋

大手橋

大手橋

山村代官屋敷

山村代官屋敷

興禅寺

興禅寺

興禅寺にある木曽義仲公の墓

義仲館

義仲館

徳音寺

徳音寺の山門

徳音寺の本堂

徳音寺

徳音寺

徳音寺にある木曽義仲公の墓

 

宮ノ越宿本陣

宮ノ越宿本陣

明治天皇宮ノ越御前水

 


小丸山城(2023年10月15日)

2023-10-23 06:27:35 | 日記

小丸山城(別名は八沢城、木曽小丸山城)

長野県木曽郡木曽町福島にある小丸山城(別名は八沢城、木曽小丸山城)に行ってきました(2023年10月15日)。

木曽福島駅から木曽福島城、興禅寺、上之段城を経由して小丸山城に登城。

この城は、現地の説明板によると木曽氏第十一代の木曽親豊が築城したとのことです。

木曽青峰高等学校の向かいにあるNHKのラジオアンテナの建っているところが本丸になるそうです。木曽青峰高等学校のグランド(第二グランドではなく、校舎に隣接したところ)のあるところが二の丸になるそうです。

説明板はグランドの前に設置されていました。

本丸跡

二の丸跡

説明板


上之段城(2023年10月15日)

2023-10-23 05:52:58 | 日記

上之段城(別名は上の段城、上ノ段城、福島城)

長野県木曽郡木曽町福島にある上之段城(別名は上の段城、上ノ段城、福島城)に行ってきました(2023年10月15日)。

木曽福島駅から木曽福島城、興禅寺経由で登城。

現地の説明板によると、この城は小丸山城の築城からおよそ100年後に木曽氏十七代の領主 義在により築城されたとのことです。

現在は、関山公園として整備されていますが、遺構は遺っていません。関山公園近くの木曽青峰高等学校第二グランドの向かい側に説明板が設置されていました。

関山公園入口

関山公園

上之段城説明板

 

 


木曽福島城(2023年10月15日)

2023-10-23 05:04:45 | 日記

木曽福島城(別名は福島城、向城)

長野県木曽郡木曽町福島にある木曽福島城(別名は福島城、向城)に行ってきました(2023年10月15日)。

木曽福島駅から歩きました。山村代官屋敷と福島小学校の間の道を進んでいくと登城口があります。ここまで20分ほどです。

山村代官屋敷と福島小学校の間の登城口

そこから更に30分ほど(距離にして900mほど)歩くと紅葉ヶ丘にたどり着きます。紅葉ヶ丘から木曽福島城までは20分ほど(距離にして800mほど)になります。紅葉ヶ丘までの道は、細くて滑り落ちそうなところもありますが、紅葉ヶ丘から先は歩きやすい道となってました。

木曽福島城は、現地の説明板によると天文年間(1535年〜1555年)に木曽氏十八代の領主であった木曽義康によって、上の段城の詰城として築城されたとされ、向城(向かい側の城)とも呼ばれているとのことでした。

登っていくと最初に左手に主郭と二の丸の間の堀切が目に入ってきます。そこの竪堀を直登することも出来ますが、素直に真っ直ぐ歩いていくと、二の丸と三の丸の間の堀切にたどり着きます。左手に進むと二の丸、主郭(本丸)になり、右手に進むと三の丸になります。

この城の見どころは、主郭、二の丸、三の丸の各曲輪と主郭と二の丸の間の堀切かと思います。

帰りは紅葉ヶ丘の分岐点を木曽義仲の墓のある興禅寺方面に降りていきました。

山村代官屋敷

福島小学校

紅葉ヶ丘

主郭と二の丸の間の堀切(登城道より)

二の丸と三の丸の間の堀切

二の丸

主郭と二の丸の間の堀切

主郭と二の丸の間の堀切(少し降りたところから撮影)

主郭に建てられている説明板と本丸跡の標柱

主郭に建てられている縄張図

主郭

三の丸