気ちがい河馬さんの日記

精神病院に通院しつつ、障害年金ではとても食えないので、深夜に「ギャオ^スー」と雄叫びを発し河馬に変身し大和川の草食らう

浅香山病院のメリットは、歴史と伝統。

2014-07-01 14:19:57 | 風景
堺市の香ヶ丘にそびえる、浅香山病院の歴史は古い。
大阪では、有名だ。大正時代からある。


河馬なんかもう小学生のころ、大阪市の北の方、福島区に住んでいて、浅香山病院がどこにあるかも、知らないくせに、 子ども同士喧嘩したら、悪口で「お前なんか浅香山の脳病院にいけ!あほ。」と軽蔑とさげすみの代名詞になっていた。 それと並んで悪口、差別用語は住吉区にある韓国人子弟の通う学校:建国高校も同様だった。こちらも社会的差別用語として通用していた。さすがに建国高校のことを悪口として言う人は今はなくなった。

精神病にたいする、差別と偏見はいまだに健在である。困ったものだ。

その点浅香山病院は幸せな点もある。

歴史的に言えば病院が先にあって、その周辺が後から街になったので病院周辺の住民やお店、喫茶店などは浅香山病院の患者を受け入れ入れている。
外見上、明らかにおかしいと見られる患者さんも、平気で香ヶ丘の街に買い物に行ったり、喫茶店へ行ったりしている。
例えば独語しながら散歩している患者さんも町の人は変な目で見たりしない。

精神病者に対する偏見は病者の家族にもある。

僕の親友の金時次郎さんは、52~3歳の時統合失調症を発病して、6年間ほど長期入院して、浅香山病院付属社会復帰センター(サポートセンターアンダンテ)へ退院、そこで2年間の訓練を受けて、病院近くの家賃6万円のワンルームマンションへ住んで社会復帰を果たしてうまくいっていた。
金時次郎さんは52~3歳まで公務員として良く働き、蓄財もしていたので、河馬なんかと違い金持だ。
奥さんもいるし、自分の家もある。

しかし、退院しても奥さんのいる自分の家には帰れずひとり暮らしをせざるをしなければならない事情があるらしい。

ある時、金時次郎さんと河馬が一緒にいる時、彼の叔父さんが病院へ来た。 その時叔父さんが彼に言った言葉が凄まじい。
「お前なんか早く死んでしまえばいい。そしたら家族みんな幸せになれる。 南海電車にでも飛び込め」と怒鳴り付けていた。とっても横で聞いておられる言葉ではなかった。 病気が良くなっても家族の理解がこんなでは、金時次郎さんが、かわいそうだ。


河馬は躁鬱病を発病以来40年以上だが父親河馬に30年間以上に渡って「お前は根が無い、怠け者だ」と言われ続けてきた。最近になってやっと父親河馬は「お前も病気やな」と認め、父親河馬と話ができるようになった。
河馬一家は気ちがい河馬を先頭に、5人兄弟だが健常者はひとりの妹だけで、長女は首吊って自殺したし、一番末っ子の妹は、診断書不要の永久1級精神病である。 こうなると叔父の責任は無いのかと、言いたい頃もあったが、もう94歳にもなっているので、何も言いたく無い。


かように精神病の患者が家族の理解を得られ無いことがままあって難しい問題だ。


いろんな病気があるうちで、精神病に対する社会の無理解、と家族からの疎外が解決するのは何時の日だろうか。

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