気ちがい河馬さんの日記

精神病院に通院しつつ、障害年金ではとても食えないので、深夜に「ギャオ^スー」と雄叫びを発し河馬に変身し大和川の草食らう

金時二郎発見

2014-07-17 19:02:07 | 風景
A館7病棟開放病棟に長期入院中だった金時二郎は突然消えた。
彼と河馬はある前衛(今は死語)政党の同志同士であり、信仰も同じだ。
特に親しい、なにごとかあっったので、多分閉鎖病棟に移されたことはすぐわかった、が、しかし天下の精神病院浅香山病院である。病棟が15病棟ある。
そのほとんどが閉鎖病棟だから、病院の奥の奥に埋もれてしまうと、昨今はプライバシーの保護、人権擁護の名の下に、受付カウンター=事務レベルでは入院患者が何処の病棟に居てるか聞き出すのは困難である。家族兄弟でもないかぎり無理だ。

そこが一般病院と大いに違っている。一般病院なら受付カウンターで自分の名を告げ、面会相手の入院患者の名前を言えば直ぐ受付で、どこそこの病棟だと無条件に教えてくれる。

警察署の留置場や、刑務所で面会するより難しい。刑務所でも受刑者との関係と身分証を申告すれば、他人でも面会可能だ、弁護士で無くとも。


以前、金時二郎はA館7階開放病棟に入院していて、一旦は退院した。 退院後数ヶ月でA館7階へ再入院せざるを得なかったのは気ちがい河馬からすれば病院の責任である。

彼に、退院後1ヶ月ぐらいでカイセン(皮膚病)が発症した。

A館7階開放病棟に金時二郎のところへ3日に空けず、面会に通っていた河馬もカイセンにかかった。
カイセンは人に寄生するダニが接触感染で人から人へ移る伝染病である。

カイセンがA館7階病棟で、流行しているとつゆとも知らない河馬は、金時二郎の所へ通っていた河馬はA館7階開放病棟でカイセンをもらった。

全身が蚊に刺されたような発疹が、できた。非常に痒い。強い睡眠薬を飲み足しても、痒みで睡眠薬が効かない。河馬なんぞはカイセンの激症期は冬場だったが、一糸まとわぬ素っ裸になってストーブをガンガン炊き、エァコンの暖房をフル稼働させて、 風呂場にあった垢擦り用のタオルで全身掻きむしった。
全身顔と言わず手と言わず、尻の穴まで掻きむしって、赤鬼の如く真っ赤になった。体力を消耗した。

河馬の場合、浅香山病院の皮膚科に発疹が出始めのとき、受診して見たが、単なるアレルギーと誤診され、1ヶ月立っても2ヶ月立っても症状は一向に改善しなかった。

それで3ヶ月目に皮膚科の若いほうの女医にセカンドオピニオンを求めた。

 新しく受診した皮膚科の女医は、河馬の手の指の股の皮膚のサンプルを削りとってプレパラートにし、顕微鏡を覗いた。
直ぐに、「あっ 居てる、居てる、卵もあるわ」とカイセンの診断が下った。

塗り薬も全部変わった。痒み止めのローションも処方された。その女医を主治医に変えた。
全治までどれだけかかるかと直ぐ尋ねた。「1ヶ月から1ヶ月半」と女医は言った。

もう3ヶ月ほど不眠と、痒みで体力消耗している。入院も考えたが、河馬の巣にいるほうが正しい診断さえ下ってしまえば、深夜でも自由に治療できる。ヘルパーさんに防疫体勢をとってもらった。
ヘルパーさんに入浴介護してもらっているから、直接接触避けるため、マスク、エプロン、ゴム手袋で武装してもらった。
ヘルパー派遣会社からは痒みを和らげる入浴剤をくれた。また手足の消毒剤を支給してくれた。ヘルパー派遣会社も派遣ヘルパーを守らねばならなかった。


A館7階で、カイセンが蔓延したのは去年の夏6月頃からである。明らかな院内感染である。
金時二郎が退院してからやっと9月に入って、河馬もカイセンを発症した。その後A館7階病棟は遅まきながら、完全閉鎖の措置をとった。

 院内感染とやっと病院は判断した。7階病棟の患者たちは病棟に閉じ込められ、面会も完全禁止となった。

あまりにも遅い対応であったた。もし、死に至るような院内感染なら病院は一体どのように責任を取るつもりだろうか。 幸いにもカイセンは原因がはっきりすれば確実に治せる伝染病だから、不幸中の幸いと言うものだ。
浅香山病院の防疫体制、セキュリティ対策は大変な穴だらけである。それについては又、別稿で述べる。


気の毒なのは河馬や金時二郎たちである。

金時二郎は退院してから発症した。彼も河馬同様ヘルパーの支援を受けてかろうじてワンルームマンションで、生活していた。
 長期入院の後独居生活の建て直しにかかる暇も無くカイセンが発症した。


彼は統合失調症である。自分の身に何が起こっているかも解らず、ひたすら、痒みに耐えるだけで、「睡眠薬が、効けへん。寝られへん。助けてくれ河馬」と懇願した。
僕も一緒や、とにかく皮膚科へ行け、「田中義みたいな、ヤブでロートル主治医に相談してもラチ明かんぞ」と助言する他なかった。

その時点で、気ちがい河馬も皮膚科でアレルギーと誤診されていて、毎日、不眠で悩まされていて、体力消耗していた。

河馬は体重93k、身長175センチで金時二郎の体格を遥かに凌駕している。
それに比べ金時二郎は小男で針金のように痩せ細っている。彼は河馬と同い年だが、OTの室長井上さんから、保健体育の体力測定で体力年齢90歳以上と判定されている。

 要するに体力がほとんど無いのである。彼はマンションから病院の玄関まで、100メートルほどの距離に住んでいる。それで病院への往復がやっとである。
 病棟でカイセンもらって、夜も眠れず毎日体力を消耗したら、死んでしまうかもしれない一大事だった。彼にとっては。
金時二郎の再入院は致し方なかった。再入院の責任は蔓延する伝染病を漫然と放置した。病棟と病院にある。

彼は心身共に疲れ果てて、再入院した。その後、今(2014年7月)から、2ヶ月ほど前、繰り返しになるが、A館七階開放病棟から金時二郎の姿が消えてしまった。
 気ちがい河馬のCIA.ГПУ(ゲー、ぺー、ウー)ネットワークを駆使しても行方は杳(よう)として知れなかった。
しかし2週間ほど前、さすが気ちがい河馬の秘密ネットワークからの有力情報が入り、面会を果たした。

ある閉鎖病棟の中の更に隔離病棟の個室に鍵かけられて、つくねんと座っていた。
河馬は金時二郎のうわさは色々聞いていたが、本人に事実確認をした。
彼曰く、妄想に駆られてライターで、シーツかカーテンに火を付け、椅子を投げ飛ばした、と素直に白状した。

河馬は怒って、それじゃぁ放火及び器物損壊だ。禁固20年や!死ぬまで入っとれと言い渡した。警察来えへんかったか ?と尋ねたら、来た。と言った。
一向に反省の気配が無い。

事実がわかったので、面会は直ぐ切り上げて、河馬は病棟士長を呼んで、挨拶してから帰ろうと思った。

やがて病棟士長と主治医が来た。主治医が代わっていた。それは良かったと思った。

主治医と士長は河馬にどうやって金時二郎の居場所がわかったのか、誰に聞いたか?と追及されたが、それは言えない。と拒否した。またどうやって面会したのかと尋問されたが、面会手続きをした。とのみ答えた。

以上が顛末である。

気ちがい河馬の前に壁はない。河馬の後ろに壁ができる。

でも金時二郎の居場所がわかって良かった。

河馬は安心した。

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