1989年8月に新婚旅行でヨーロッパに行った。
夏休みだったこともあり、12日間のツアー代金が一人73万!!
バブルだったこともあるけど、私もお馬鹿だったなぁ。
コースは以下のよう。
2日がかりでフランクフルト経由(1泊)のチューリヒ入り。(チューリヒ2日間)
チューリヒからドイツロマンチック街道を北上しフランクフルトへ戻る。(4日目~7日目)
再びフランクフルトからパリへ行き、パリで3日間というもの。
実は当時チューリヒには私の大学時代の悪友が在住しており、そいつと会うのも目的の一つだった。
ツアー3日目のユングフラウヨッホをキャンセルして悪友と1日チューリヒを楽しんだのだ。
今のようにメールで簡単に海外の友人とやり取り出来る時代ではなかった。
日本での連絡は時差を考えて国際電話で手短に話したものだ。
出発前、悪友の両親に「渡すものがあったら持って行きますよ」と声をかけたら……
週刊誌や日本食など、私たちのトランクの半分が埋まる程の手荷物を持って、空港まで来てくれた。
さすがに、それを見た悪友も「こんなに持たせて悪かったなぁ」と言っていたっけ。
でも、当時はなかなか日本のものが手に入らなかったそうだ。
チューリヒで悪友に連絡を取ろうとしたけど、電話番号のメモを日本に忘れてきてしまった。
ホテルにあった電話帳をダメモトで調べたら、そいつ「茂」という名前だけど確か「SHIGEL?(シーゲル)」という表記で載っていた。
苗字も忠実なローマ字表記でなかったので、はたしてその番号が悪友宅のものか少し不安だったが掛けてみた。
「もしもし」で始めて通じなかったら「Sorry」で切ろうと思ったけど……見事に「もしもし」で返してもらえた。
さて、ツアーを離れて悪友夫婦に連れて行ってもらったのはアーレシュルフト渓谷(Aareschlucht)とピラトス山(Pilatus)
ピラトス山はケーブルカーで山頂まで行ったら雪だった。8月だったんだけど…
懐かしい思い出。

山を下りて連れて行ってもらったのは「ルツェルン」という街。
街を流れるロイス川に架かる有名な木の橋の「カペル橋」を散策。
山を下りても寒かった。

その後、悪友宅で食事をご馳走になり、ホテルまで送ってもらった。
その日8月1日はスイスの建国記念日だそうで、夜に花火が打ちあがってほろ酔いがさらに深まった。
夏休みだったこともあり、12日間のツアー代金が一人73万!!
バブルだったこともあるけど、私もお馬鹿だったなぁ。
コースは以下のよう。
2日がかりでフランクフルト経由(1泊)のチューリヒ入り。(チューリヒ2日間)
チューリヒからドイツロマンチック街道を北上しフランクフルトへ戻る。(4日目~7日目)
再びフランクフルトからパリへ行き、パリで3日間というもの。
実は当時チューリヒには私の大学時代の悪友が在住しており、そいつと会うのも目的の一つだった。
ツアー3日目のユングフラウヨッホをキャンセルして悪友と1日チューリヒを楽しんだのだ。
今のようにメールで簡単に海外の友人とやり取り出来る時代ではなかった。
日本での連絡は時差を考えて国際電話で手短に話したものだ。
出発前、悪友の両親に「渡すものがあったら持って行きますよ」と声をかけたら……
週刊誌や日本食など、私たちのトランクの半分が埋まる程の手荷物を持って、空港まで来てくれた。
さすがに、それを見た悪友も「こんなに持たせて悪かったなぁ」と言っていたっけ。
でも、当時はなかなか日本のものが手に入らなかったそうだ。
チューリヒで悪友に連絡を取ろうとしたけど、電話番号のメモを日本に忘れてきてしまった。
ホテルにあった電話帳をダメモトで調べたら、そいつ「茂」という名前だけど確か「SHIGEL?(シーゲル)」という表記で載っていた。
苗字も忠実なローマ字表記でなかったので、はたしてその番号が悪友宅のものか少し不安だったが掛けてみた。
「もしもし」で始めて通じなかったら「Sorry」で切ろうと思ったけど……見事に「もしもし」で返してもらえた。
さて、ツアーを離れて悪友夫婦に連れて行ってもらったのはアーレシュルフト渓谷(Aareschlucht)とピラトス山(Pilatus)
ピラトス山はケーブルカーで山頂まで行ったら雪だった。8月だったんだけど…
懐かしい思い出。


山を下りて連れて行ってもらったのは「ルツェルン」という街。
街を流れるロイス川に架かる有名な木の橋の「カペル橋」を散策。
山を下りても寒かった。

その後、悪友宅で食事をご馳走になり、ホテルまで送ってもらった。
その日8月1日はスイスの建国記念日だそうで、夜に花火が打ちあがってほろ酔いがさらに深まった。