おはようございます! 今朝の山! いつもの山と東方向に見える茅が岳
今朝の気温15℃、朝から晴れ、爽やかな朝の散歩、今年は野鳥の囀りが激しい?
激しいのではなくこれも爽やかに、ホーホケキョ、ホーホケキョの連発、小屋の庭ではの事です!
今日はこの天気を利用して蒲団干し、それと最後の冬の名残の炬燵を夏型にに変える予定です。
柳澤散歩-44 トラノオ 柳澤散歩-45 オオバギボウシ
爺さんの父親!
爺さんの父親は1981年(昭和56年)11月に83歳で亡くなりました。
足腰は弱くなり、感覚も年相応、しかし、いわゆる認知とかボケはさほど感じなく当時としてはかなり長生きのお爺さんでした?
当時は母親も元気でした!その昔は産めよ増やせよの時代、爺婆も流行に乗って五男三女の子持ちでした!一女は早世で、爺の知っている兄弟は、兄4と姉2です。爺は末っ子、それもすぐ上の姉とは6歳も差がありました。
父親の事ですが、男一人の末っ子、四人の姉、祖先は仙台藩の武士の家庭の分身だったらしい?
大きな鉄鋼関係の会社で、中学生までは社宅生活でした。仕事は熱心、部下がよく遊びに来てくれてました。
爺の覚えている父親は、子どもは母親に任せ、親戚のトラブル対策には熱心でかなり頼りにされておりました?
爺と父親、父母が老化した頃を見計らって同居しました。本音、父親とはほとんどお話しした事はありませんでした?
ただ一度、爺が管理職になった時、父親が喜んでいたことは記憶にあります?
定年まじか、55歳のころ、何を思ったか「乾物屋」を開き、会社出勤前に築地まで買出し、店は母親任せ、爺も店に出て客対応をしました。
父親は店には一度も出ず、お客対応はまったくしないで10年後には店をたたみました!
父親が亡くなったあと、もっといろいろと話をしておけばよかったと思い反省しております!
ただ、子どもはみんな両親を大事にし、爺は同居、その家に兄弟たちが年がら年中遊びに来てくれました。
しかし、その目的は母親との対話でして、父親はついでに会う?そんな感じでした!
爺がいつも思っている事、子どもは母親の子なんです!絶対に!父親は外野の人なんです?
両親の事は爺より女房殿方がよく知っおります。それだけ付きあう時間が長かったと言うことです!
追伸 父親が亡くったあと、母親にもっと親孝行と、しかし、その半年後の翌年3月に亡くなりました。
追伸 堅物の親父、若い頃はけっこう遊んでいたと、長女(爺の16歳上)から聞きました!
2023-6-18 大谷が23号本塁打! 甲斐駒村上小屋 No.3987