2011.10.22 (土)
■■ストーン・ローゼズ再結成
http://www.cinra.net/news/2011/10/19/114902.php
知らなかったなあ。こういうことがあるんだな。
知り合いが興奮気味で連絡してきました。
あの頃、その彼からいろいろレクチャーを受けたことを思い出しました。
■■カダフィの最期
王政を倒して民衆の支持を受けた過去があっても、独裁政権が長期にわたるとこうなってしまうのか。
そういう歴史ばかりだな。
もう遅いけれど、できれば法廷とかそういう場で(それしかないだろうし)、どういうことを語るのか聞いてみたかったけど。
「死亡」の事実に、民衆の多くが狂喜乱舞している姿に圧倒される(それはいつもそうだ)。
こういう国で生きていると、怒りも喜びもどこか懐疑的で、大声でどこにも訴えられない気がしてくる。そういう身には、あの100%濃縮の解放の喜びに一抹の違和感と憧れを感じてしまう。
ヤツがこれを見たとたら、どういうことを思い発言したんだろうか。
■■てんかん患者からの視点
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20111021ddm004070132000c.html
てんかんの友人が、「病気を打ち明けたら目をそむけられたっていうのがいちばんキツかったなあ」と言っていた。
彼が発作を起こしたところには遭遇したことはない。
だけど、いつも話をきいていたので、大人になって何度か通っていた居酒屋の主人が目の前で倒れたとき、「あっ」とすぐわかったことを覚えている。
店の常連はみんな知っていたようで、慌てることもなく対処してした。次に訪れたときも、その店になんの変化もなかった。
事故の被害にあった方、そして遺族の思いはまた別のところにあるだろう。それはきちんと処理されなければならない。
病気に対する理解や対応に心が配られることは、またその先にあるのか、それとも同時進行で成熟した世の中にしていけないのか。
■■『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』の作者の死
アゴタ・クリストフ がこの夏に亡くなっていたことを、今日の夕刊で知った。
20年以上前になるということを知って驚く。読み終えたときのザワザワを思い出す。
この人の作品を仏語で読みたくて大学の学部を選んだという記者の追悼の記はさすがに読みごたえがある。
ある詩人の作品を原語で読みたい、というのが大学の志望動機だった若き日の自分をちょっと思い出す。作品数は多くはないので、その動機は達成され、真面目とはいえなかった学生生活の唯一の「満足」。
いわゆる「就活」にも、そしてその後の仕事にも特にプラスにはならなかった経験だけどね。
こういう志望動機って、今の世の中ではどうなんだろう。研究職をめざすくらいの人でなければ、「就職には不利じゃない?」って言われちゃうだろうな。