2016.4.9(土)
■ 桜たち
一昨日、ようやく「桜+青空」のコントラストを景色として観賞することができた。やっぱり曇り空では、桜は寂しすぎる。
わが家の近くでは、いろいろな事情なんだろうけれど桜の木の枝の剪定が積極的に?行われ、今年の桜は少しおとなしい。
目黒川の桜は今年も見事だったけれど、あそこはあのままでずっと大丈夫なの?
なのにどうして、郊外のわが家付近では、目黒川の桜の木に比べたらまだまだ若い桜の木の枝が剪定されるんだろう。
以下は、母の入院で誰も住む人のいない実家近くの桜たち。
次は、私鉄駅近くの踏切付近。神社の庭の桜が踏切が開くのを待つ人の心に飛び込んでくる。
よく晴れた冬の日にこの踏切に立って下りの方向を見ると、線路のずっと先の先に富士山が見える。
新宿に近いこの駅の線路のずっと先に鎮座する富士山は、とくに夕暮れ時がすばらしい。夕焼けをバックに美しいシルエットを見せる。
小学生の頃、通学のたびにこの踏切を利用したが、その頃と同じようにさえぎられることなく見える富士山に、ときどき感動する。
■ 「ロックロックこんにちは」への期待
https://twitter.com/shinnosukeykt/status/716955029890961408
https://twitter.com/magokoro_bros/status/716911235669708800
https://twitter.com/radwimps/status/717104083086090241
「僕のチェリーを捧げに・・・」って(笑)。
■ 「みなと」、聴きましたか?
https://twitter.com/uno_kore/status/718265844573290502
宇野さんのこんなツイートを見ただけで胸が震える(言いすぎか?)。
仕事中にFMを聴くことが多いのだけれど、いまだ「みなと」に遭遇していない。
■今の音楽
くるりの岸田さんのブログ。
https://note.mu/quruli/n/n4c64d792c730
音楽業界とはまったく関係のない世界で生きている人間が読んでも、この文章はなんだか重くて、でも潔い。
音楽を多くの人が聴いていた時代か・・・。今もそうだと思っていたけれど。
でもたしかに personal な部分が大きくなって、「好きな音」を共有する機会は少なくなってきているかもしれない。好きなアーティストが共通している仲間内での会話や情報交換ではなく、普通に集まった人たちの間で交わされる、
「この前、聴いたあの曲がね・・・」
「あ、そのギタリスト、知ってるよ」
「最近、ライブに行ってる?」
みたいなやりとりが、少なくなってきているのか。
自分が若いときって、ラジオの同じ番組を聴いたり、レコード買ったり貸し借りしたり、というのが友だち付き合いの大きな部分を占めていたから、今でも「はやり歌」で盛り上がれるときがある。
イヤホンで聴くことが多くなると、話す必要もなくなってくるのかもしれない。
岸田さんの言う、「例えばCDが普及した1990年代初頭のニューミュージック(今で言うJポップ)」の特徴を述べているあたりがおもしろい。
それでも、「次の作品」を待つときの形容しがたい胸の高鳴りは、若い頃も今も、そう変わらない気がしている。
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