隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

硫黄岳の神さま

2006年12月07日 20時08分57秒 | ショートストーリー
■硫黄岳の神さま

 先日、30年ぶりに山を歩きました。昔使っていた装備はすべて処分してしまったので、登山靴以外は仕事仲間に借りて。新しい靴は、神田神保町の懐かしい店で購入しました。あの頃の重たい靴ではなく、軽くてデザインも色も工夫されたものが店内に並んでいるのを見て驚きました。あなたも今ではあんな靴を履いているのかしら。
 なぜ山に行こうなどと急に思い立ったのか。特に意味はないのです。強いて言えば、来年の春50代に入ろうとする自分の年齢に小さな戸惑いを感じたからかしら。今さらなぜ?と自分でもおかしいのだけれど、私、昔からそういうところあったでしょ、覚えてる? 二十歳を目前に「もう、絶望的。二十歳よ。最悪じゃない」、暗い喫茶店でそうつぶやいて、目の前のあなたを戸惑わせた。あなたはたった一人、私を認めてくれる人だったから、何も迷うことなく心のうちを明かせたの。
 たぶん不安だったのね、私。立て看板の並ぶ70年代に入ったばかりの大学ではロックアウトが繰り返され、ヘルメットの学生たちのアジ演説やビラ配りは70年安保のあと方向を失いつつあった。それでも、たとえ空しさを抱えつつも暴走する彼らを、私は離れたところから羨望のまなざしで見つめていたの。何かしなければならないと思っていても、タバコの煙と意味のわからない言葉で溢れかえった彼らの集会に足を踏み入れられなかったのは、怖かっただけなんだけど。
 実際の私といったら、漫然とキャンパスに通いファッションの話や男の話題で嬌声をあげる彼女らと大した違いはなかったのよね。あなたはそういう私をどんなふうに見ていたのかしら。
 私たちは何度も同じ山を歩いたね。所属していた大学のワンダーフォーゲルクラブは個人で山に行くことを禁じていたけど、あなたはいつもいたずらっ子のような目で笑って、「また行こう。今度は穂高に挑戦」などと誘ってくれた。慎重なあなたは詳しくコースを検討し、水場を調べ、何度もバスの時刻を現地に確認し、それから私に声をかけてくれた。そうだったでしょ。だから私はいつも安心してついていったのよ。
 ごめんなさいね、あの頃の私は、そういう言葉で逃げたくはないけれど、若さゆえなのか、それとも私自身のいい加減さのせいなのか、小さな鬱積と戸惑いを抱えているままで、ずるい自分をわかっていながら認めようとはせず、結局あなたとの山での時間で自分を回復させていたのかもしれません。
 30年ぶりの山は南八ヶ岳の硫黄岳にしました。覚えている? 19歳の秋の終わりに二人で初めて歩いた山。美濃戸口から歩いて赤岳鉱泉に泊まって、次の日に硫黄岳をピストンして下山という、本当にのんびりした山行でした。小屋の狭い個室を二人で占領して、そしてお互いに好きな人の名前を告白したのを、陳腐な表現だけど、まるで昨日のことのように思い出します。
 だけど、練炭のコタツで軽い一酸化炭素中毒になったのか、次の朝は二人とも頭が重くて、赤岩ノ頭までは二人とも何も言わず、ただひたすら下を向いて歩いていました。だからよけいになのか、あの日、硫黄岳で眼下に広がった雲海を見たとき、無宗教で何事にも疑い深かった私が神の存在を感じたのよね。
 「ね、ここには神がいるよ、匂いがするもの。なんか願い事しちゃう?」と唐突に言う私に、あなたは笑って「あの人に気持ちが通じますように」と、前の晩に口にした物静かな私たちの仲間の名前を言ったの。続いて私が「私も」と。
 だけど、本当は違うの。大好きな男の子はいたけれど、でもあのとき、私はあなたの横顔を見ながら、迷いもなく祈っていました、「この人と一生友達でいたい」と。
 30年ぶりの赤岳鉱泉は立派な山小屋に変身していたし、私より年配の登山者の多さには正直驚いたけれど、でも美濃戸からの沢沿いの道も、硫黄岳の広々としたピークも、私の記憶そのままでした。後戻りなんかできない年齢になっている私には、もう神さまは現れなかったけどね。
 ピークで少し長い休憩をとっているとき、あなたと歩いた山々を思い出していました。あなたはいくつ覚えているかしら。
 秋の鳳凰三山では、夜叉神峠から御座石鉱泉までのコースを初めてテントを持って歩きましたね。鳳凰小屋のサイトでは、あなたがとびきりの雑炊を作ってくれた。山に入るととたんに食欲がなくなる私のために、あなたが「研究したのよ」と言って作ってくれた雑炊でしたね。
 途中の縦走路から仰ぎ見る白峰三山の雄大な姿、私たちを圧倒する峰々。今でも脳裏にはっきり焼きついています。ひょっとすると、実際よりずっと圧倒的な迫力で覚えているのかもしれないけれど。「いつかあそこを歩こう」と約束した私たちは、その次の年の同じ季節に、白峰三山を北から南に向かってたどっていったのね。
 実生活ではうまくいかないことだらけだったけれど、山では一つ一つ目標を達成していることで、私は心地よい勘違いに少しばかり酔っていたのかもしれないね。
 そうそう、ジャコビニ流星雨が見られるというので、甲武信岳を目指したこともありましたね。増富温泉から入り、金峰山を越えて暗くなってから着いた大弛小屋は私たちのほかには寡黙な男性が一人だけだったけど、次の日の甲武信小屋は流星雨を見ようと集まった登山客で満員でした。
 実はね、夜中に山頂で見た流星はあまり覚えていないの。それより次の日の、千曲川源流の沢沿いに毛木平から梓山のバス停への下山道。あれはたぶん一生忘れられない。
 今は遊歩道のように整えられた人気コースだというけれど、あの頃は人のいない静かな、そう、パステルカラーで描いた絵本の挿し絵のような場所でしたね。あなたの笑顔が明るい広葉樹林からの淡い木洩れ日に重なって、私はその一瞬を逃さないようにと胸の中で抱き締めていました。
 無口になった私にあなたは訝しげな視線をよこしたけど、あのとき私は目いっぱい幸せだったのよ。でも、それを表現する言葉を知らなかっただけ。そうね、私は今でも、あのときの気持ちを正確に伝える言葉を見つけることはできないけれど。
 そして、あの笊ガ岳…。私たち二人の最後の山。21歳になっていた私たちは、四方原山の静かな山歩きを経験して、もう一度あまり人の入らない山を目指したくなったのよね。笊ガ岳というマイナーな名前に惹かれたのが私、「頂上からの富士山がすばらしい」というガイドブックの説明に飛びついたのがあなたでした。
 畑薙ダムを越え中ノ宿までの長いバスの中で、慎重なあなたはガイドブックを開いて何度も確認していましたね。1泊目は所ノ沢越の手前の水場、次の日は布引山から目的の笊ガ岳を経て大武刀尾根を下り、途中で設営して、3日目にゆっくり白石の集落に下る…、そんなコースだったと思います。
 さっき本屋の店先でガイドブックを立ち読みしたんだけれど、あの下山道はもう荒廃していて、地図上に見つけることはできなかったわ。
 何度かの二人の山行を経験して、今思い出しても、私たちは理想的なパートナーだったと思う。歩くスピードは不思議なくらい同じでしたね。あなたの足の運びを見ながら歩いていると、いつのまにか高みに達していて、周りの景色は様変わりしている…。そんな快感を何度味わったことでしょう。お互いの役割は自然に分担され、その頃には、テントの設営や食事の支度に費やす時間は最初の頃の半分になっていたかもしれない。あなたはさっぱりした性格の人だけど、トイレから出てくる私にさりげなくハンカチを差し出してくれるようなところもありました。ドジで慌て者の私がホエブスの点火に手間取っても、歩き始めてすぐに靴紐がほどけても、そして天候がどんなに荒れても、あなたはいつも冷静だったし、笑顔を忘れなかった。だから私はそのバスの中でも、それまでと同じように安心して横に座っていました。
 ねえ、すばらしい青空の3日間だったわね。私たちは何度も立ち止まって、わくわくする胸を確かめるように言葉を掛け合っていました。そしてとうとう笊ガ岳のピーク。白峰三山から荒川三山、そして、正面には大きな赤石岳。「いつかあの山に行きたい」あなたはそうつぶやいていたね。あの願いは叶ったのかしら。
 そして小笊の向こうには、あなたの大好きな富士山。「やっぱり富士山は日本一よね」あなたは誰にも好かれる明るい満面の笑みを浮かべて、そこに立っていました。
 そして下山道。当時のガイドブックにも「今ではあまり人の入らないコース」と書かれていましたが、それでも落ち着いてルートを確認しつつ快調に進んでいました。思ったより順調だったので一気に下ってしまおうと思ったのがいけなかったのかしら。沢を右岸左岸と渡りながら細い一本橋を渡りきって振り返ろうとしたときでした、後ろで鈍い音が聞こえたのは。いやな予感に躊躇していると、「ごめん」というあなたの声。振り向いた私が目にしたのは、一本橋の真下の岩の上にうずくまっているあなたの背中でした。
 急いで岩をつたって近寄った私に、あなたはもう一度「ごめん」と謝り、「大丈夫。そんなにひどい怪我ではないから」とあくまで冷静でしたね。私のほうはすっかり目の前が暗くなって、心臓の鼓動ばかりが耳に響いていました。あなたの膝はぱっくり口を開けて、とても歩ける状態ではなかった。あなたは、荷物を置いて白石の集落まで下り、事情を説明して誰か男の人を連れて戻ってくるようにと指示をくれました。
 「わかった、急いで戻ってくるから」私はそう言い、自分のザックからヤッケとセーターを出してあなたに渡すと、「気をつけて。あなたまで怪我したら大変だから」という明るく装ったあなたの声に送られて、走るように白石までの道を急ぎました。どのくらいの間走っていたのか、もう記憶にないけれど、そのとき私は心の中で誓ったの。あなたの怪我がひどくて障害が残るようだったら、私は一生あなたのそばであなたを支えて生きていくんだ。今思うと、なんて独りよがりで勝手な思いだったのだろうとわかるけれど、あのときは真剣に心の中で繰り返していました。
 集落の人たちはみな親切で、数人の人が私と一緒にあなたのところまで来てくれて、背負子に乗せて運んでくれましたね。身延の古い木造の病院で手当てを受け、傷口はかなりひどかったけれど骨には異常もなく、全治2週間という診断を受けて、ほっとした私が涙を見せると、あなたは「ああ、おなかがすいた」と言ったんだっけ? あなたらしい、本当にあなたらしいひとことでした。
 その夜、静かな街に夜のとばりがおちて、病室の隅の板敷きで私がウトウトし始めたとき、遠慮深げにドアを叩く音が聞こえました。起き上がってドアを開けると、そこにいたのはあなたが心を寄せている私たちの仲間だった。彼は、私が下山したときにクラブの先輩にしておいた報告を聞いて、急いで中央線に飛び乗ったのね。あなたの状態を気遣う思いがその目にはっきり表れていました。そして、あなたは彼の姿を見て、その日初めての涙を流した。そう、それまでこらえていたものが、きっと溢れ出したのね。私はそれから、そっと部屋を出て、待合室のベンチで朝を迎えたんだった。
 それからのことは、よく覚えてないの。ただ、私がクラブをやめて、山へも行かなくなって、そしてあなたとも会わなくなったのね。あなたも頑固な人だったから、連絡をとらなくなった私に自分から近づいてきてはくれなかった。どうして? 今の私があの頃の私に問いかけています。何かあったら最後まで一緒になどと決心をしていた私の気持ちが、彼の登場で見事な空振りをして、きっとそれが悲しかったし、かっこ悪かったのでしょう。そうとしか言えないわ。
 誤解しないでね。今、私は決して不幸ではないのよ。最初の結婚には失敗したし子どももいないけれど、でも今は心を通わせる人がそばにいてくれます。本音で話せる友人もいます。好きな仕事も順調。でもね、30年ぶりに山を歩きながら考えたことがあるの。あのとき意地をはらずに、「なんだ、よかったじゃない、思いが通じて」そう言えていたら、私たちは今でも友達でいたかしら、一緒に山を歩いていたかしら。どう思う?
 あなたのことは、この前昔の山の仲間に聞きました。卒業後、あの彼と結婚したのね。硫黄岳の神さまは、あなたの願いだけを叶えて、私のほうは無視しちゃったのかしら。そして、かわいい二人の娘に恵まれたこと、今でも山を愛し、スイスやニュージーランドの山も歩いているそうですね。
 住所も聞いたので、なんだか懐かしくなって、こんな長い手紙を書いてしまったの。飲みながら話でもしない?って。 でもね、この手紙を投函するのはやめるわ。もしあなたに会えるなら、都会の喧騒の中より夏空のまぶしい縦走路がいい。
 私が山を歩くようになったら、どこかで偶然出会えるかしら。そうしたら、あなたはきっと、このとてつもないブランクを軽く飛び越えてしまうような柔らかな笑顔をみせてくれるわね。そして、私たちは別々の道を歩いていた日々を取り戻すかのように、たくさんの言葉をかわすの。
 ねえ、そんな日がくるといいですね。それを楽しみに、私は私のペースでゆっくり歩いていきます。それまで、あなたも元気でいてね。


 すみません。山好きな方にはばれてしまうでしょうが、上の画像は硫黄岳ではありません。昨年訪れた初夏の車山です(汗)。

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