隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

いつか本物に・・・「ニセ医者と呼ばれて」

2010年12月15日 21時16分05秒 | テレビにプチコメント
★人を幸せにする笑み
 日テレの「
ニセ医者と呼ばれて」、録画していたものを、昨夜ようやく見ました。
 カタルシスの涙で、一日もやもやしていたものが一気に晴れて、こんな傲慢な人間が「ワタシも頑張らなくちゃ」と思ったのです。
 医介補という制度も、もちろん知らなかったし、1959年にその制度ができてからつい2年前まで、その医介補に従事していた方がいらしたという事実に驚きました。
 へき地医療で、彼らにしか救えなかった命があったこと、沖縄の普通の人々の暮らしぶり、米軍基地のもたらす悲劇・・・、胸に突き刺さることのなんと多かったことか。
 おおげさな盛り上がりをつくらず、雄弁に語らせず、静かに、時に激しく吐露される主人公や妻、そして周辺の人々の言葉(それは、時に重く、時に軽やかにユーモアを交えて)・・・。
 主人公の医介補を演じた堺雅人さんと妻の寺島しのぶ(どちらも大好き!)に通い合うものは、ヘタレな私をも刺激してくれました。大事にしなくてはいけないものを見失ってはいないか、なんてね。
 若い夫婦を襲った大きな悲劇は、今日になっても私に割り切れなさと残している。こういう悲劇はきっとほかにもいくつもあったにちがいない。
 けれど、捨てられた男の子は何十年もたって現れ、年老いて引退する先生の「幸せか?」という問いかけに、笑顔のすてきな日本人の妻と健康そうな二人の子どもを紹介する。
 「私のしたことはよかったのか」「あの子どもを救ったことになったのか」…。先生はきっと何十年も、そのことを気にかけていたのだろう。だから、思いがけない訪問を受けながら、考えることもなくすぐに、「幸せか?」という言葉が出たのだろう。
 あんな医者がそばにいてくれたら、人はどんなに救われるだろう。少なくとも、私は出会ったことはないなあ。
 心から素直に「先生」と呼べる人が、私にも2人いるけれど、どちらも医者や教師ではありません。これも悲しいことなのか??

 本物の医師の診断のほうが誤診だったというエピソードは痛快だったけど、「いつか化けの皮がはがれるのでは」と恐れていたという主人公の激白はきつかったなあ。
 自分を頼りにしてくれる地元の人たちの言葉と妻の迫力のある(ホント!)励ましに後押しされて、「一生懸命にやっていればいつか本物になれる」と思えた主人公。
 私もいつか、本物になりたい。

 Y子さん、DVD送りますよ!

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