21日発売 「週刊朝日」
2010年追悼「先に逝ってるぜ」-往時の姿を偲び、一年を振り返る(1)
パク・ヨンハ ほか
今日のヨンダリ前のMnetワイドニュースダイジェストで、
先日の東京ドームイベントの様子が放送され、
ヨンハのチャドの映像が流れたところが映ったと教えていただきました。
18日オンエア「BEASTS OF KOREA」
BEASTS OF KOREA 2010K-POP10大ニュースでした。
2位 パク・ヨンハ
「初めて~」オンエアされました。
SPアルバムが発売されたこと、亡くなったニュースを受け多くの方が衝撃を受けたこと、
その背景として言われているもの、
一緒に仕事をしたこともある古家さんは、
「今も彼が日本に来て、ステージに立って歌ってくれそうな気がするんですよねぇ。
10大ニュースに選ばれたというのも
歌手としての日本での功績が大きかったことが影響していると思います。
それほど歌の大好きな方でした。
もっといい演技、もっといい歌、聞きたかったんですけどもね。
あとは残された彼の音楽とか映像作品を、我々ならではのフィールド、
形、方向性で伝え続けていく、ということが大事なんでしょうね。
ほんとに、残念な方を失ってしまいました。。」
というコメントをしていました。
古家さんDJのこの番組はKジェネでも内容が被っていることも多いので、
Kジェネでもランクインされればオンエアされる率高そうです。。
↓
なんとKジェネでは未発表曲「Heart」がオンエアされました。
(曲紹介以外のコメントは同じ、順位は4位)
ここで初めて聴くことになろうとは!!!
サビの
好きで~
好きで~ ← “き”の部分がキュンときました。。
[ラジオ] 日曜18:00~InterFM 「Kジェネ」
■ネットラジオ 「ラジコ」
・「2010 韓国分け奉仕大賞] 企業大賞 SBS」
(抜粋)
分け現場放送,視聴者心も響いて
SBSは創社初期から倦まず弛まず社会奉仕プログラムを編成,
分け文化拡散に大きく寄与した功労を認められた。
1991年障害者のための最初の正規プログラム '愛の飛び石'を始まりに
'キア体験 24時間','SBS 希望TV'などが代表的例だ。
特に放送社では初めて企業の社会的責任を専担する
CSR(Corporate Social Responsibility)チームを設置,分け文化電波に特別な努力を傾けて来た。
2009年始めた SBS 希望 TVはこのような努力の '白眉'で数えられる。
大衆が好きな歌手,タレントが国内疏外階層とアフリカ及び第3世界子供を助けるのに
先に立つ姿を放送することで自然に視聴者の同参を導き出した。
廃鉱で村全体が貧困に追われた江原道精選では人気歌手が出演するコンサートと
体験行事を同時に進行,10万枚の煉炭基金を造成した。
また学校がないアフリカチャドではタレント故パク・ヨンハさんが出演,
視聴者たちの助けで結局学校(ヨナスクール)を建てたりした。
ニジェールなど飢えにくたびれたアフリカ家庭に '希望の塩素送り' キャンペーンを進行した。
このキャンペーンは一種の継走寄付でアフリカ 5,700余家具に 1万2,000余匹の塩素を寄贈して
これを受けた家庭が 18ヶ月後生ずる子山羊を隣りに与える事にしたのだ。
分けることを受けてまたこれを返してやる感動はそのまま奥座敷に伝わって視聴者の胸を暖かくした。
ユ・ヨンソックダムダム PDは "暖かい手長さ必要な人々に使い捨てではなく教育とともに,
生計油だ方法を悟るようにするなど長期的で実質的お手助けになることができて大きいやりがいを感じる"と
"このすべてのものは視聴者たちの絶対的呼応おかげさま"
と言いながら大賞受賞の球を視聴者たちに回した。
□朝鮮日報 「RUI、パク・ヨンハさんの意志を引き継ぎ慈善活動へ」(12.20)
□innolife 「イ・スンチョル、『アフリカ希望の学校づくりプロジェクト』発足」
・「イ・スンチョル,故パク・ヨンハ遺志引継ぎ 'アフリカ希望学校' プロジェクト進行」(12.18)
歌手イ・スンチョルが国際掛け声開発NGOグッドネイバーズとともに
'アフリカ希望学校作り' プロジェクトを進行する。
今度のプロジェクトはアフリカ死の心臓と呼ばれるチャドを含めた
アフリカ国家に学校を建立して子供達に希望を与えるプロジェクトで
グッドネーバーズとイ・スンチョルが 1年間一緒にする。
来る 23日からソウル蚕室主競技場で進行される 'イ・スンチョル25周年記念コンサート
- オケスト ROCK'で手始めを知らせる。
数千名のファンの前でアフリカ子供達に希望を与えることを約束するわけだ。
イ・スンチョルは"愛するファンと 'アフリカ希望学校作り'を一緒にしたい"と
"2011年に進行される公演を通じてこのプロジェクトを引き続くこと"と明らかにした。
アフリカ子供達がきれいな水を飲むように井破棄事業に後援して来たイ・スンチョルは
去る 10月から 'アフリカ希望学校作り' プロジェクトを準備して来た。
去る 10月,SBS 希望TVを通じてグッドネーバーズと 故パク・ヨンハがアフリカチャドに学校を建立して
希望を植えてくれた 'ヨナスクール' 放送を見た後
故人の意を引き継ごうと SBSとグッドネーバーズと協議して来たこと。
イ・スンチョルは "ほっそり痩せる身ではるか遠い道を歩いて
水を汲んで来ると生きて行くことができるし,
学校に一回も行って見られなかった子供達を見ながら胸が詰ったようになった"と
"何より パク・ヨンハさんによって芽ぐんだ子供達の希望が消えないように
その希望の紐を引き続きたい"と今度のプロジェクトを準備するようになった理由を明らかにした。
プロジェクトの手始めを知らせるコンサート当日,
コンサート場ロビーには '分かち合いブース'を設置して 'アフリカ希望学校作り' プロジェクトを紹介する予定だ。
またコンサート進行の中でアフリカチャド映像視聴を通じてイ・スンチョルが
今度のプロジェクトを提案するようになったきっかけを直接話して
ファンにも分かち合い参加を督励する予定だ。
この日販売される CD販売収益金全額もプロジェクトに使われる。
イ・スンチョルは "できるだけ早くチャドを訪問してどんな状況なのか直接見たい"
という意思を明らかにしたし,すぐグッドネーバーズを通じてアフリカチャドを訪問する予定だ。
マンネ~
・「SS501 キム・ヒョンジュン "故パク・ヨンハ兄さんの大きい力になった"」(12.18)
(抜粋)
キム・ヒョンジュンは最近マネートゥデースターニュースとインタビューで
"日本活動当時同じ所属社にいたヨンハ兄さんと親しくなる機会があった"と言葉を取り出した。
引き継いで "ヨンハ兄さんと自動車乗って一緒に旅行も行って,
私にいつも良いものをたくさん言ってくれて勇気を引き立ててくれた"と回想した。
彼は "実はヨンハ兄さんと私は本当に似ている環境だ"と言いながら
"家の生計を責任負う部分もそうだったし"と言いながら言葉を引き継ぐことができなかった。
彼は "ヨンハ兄さんがそんなに難しいとは思わなかった。分かったら"と言いながら
"ヨンハ兄さんはいつも私が尊敬する兄さんだ"と故パク・ヨンハを称えた。
キムヒョンジュンは去る 6月亡くなったパク・ヨンハの殯所を尋ねて悲しく泣いて席を守って人目を引いた。
■オリコン 「アルバムデイリーランキング」
17日22位、16日17位、15日12位、14日6位 パク・ヨンハ 「Park Yong Ha in 1095's」
16日21位、15日14位、14日8位 パク・ヨンハ 「Park Yong Ha in 1107's」
□innolife 「故パク・ヨンハ、人気は続く」(12.18)
□Wow!Korea 「故パク・ヨンハが贈る最後の“プレゼント”オリコン10位圏内へ」(12.17)
・「パク・ヨンハ,日本は彼を忘れることができない」(12.17)
去る 6月亡くなった韓流スターパク・ヨンハのスペシャルアルバム 2枚が
日本で発売開始直ちにオリコントップ10に進入した。
15日現地で発売された ‘Park Yong Ha in 1107'sと ‘Park Yong Ha in 1095'sは
オリコンアルバム部門デイリーチャート 6位と 8位に上がった。
デビューアルバム ‘便り’の発売日である 2004年 6月16日から
去る 6月26日川口総合文化センターで開かれたコンサートまでの日本活動を前期と後期に分けて盛った。
一方,日本 DATVは 25日パク・ヨンハのいつまでも慈善活動姿などを盛った
‘美しい青年パク・ヨンハの最後の願い’を放送する。
KBS 2TV ドラマ ‘冬ソナ’(2002)でスター級に上がったパク・ヨンハの日本内人気は相当だ。
日本で多くの枚のアルバムを発表したパク・ヨンハは 2004年11月シングル‘カジマセヨ’で
韓国男歌手最初でオリコンチャート 10位圏にランクされたりした。
去年 7月ミニアルバム ‘ワンスインサマー’はオリコンデイリーチャート 6位,
ウィークリーチャート 14位に上がって歌手パク・ヨンハの底力を確認した。
マジンガーことパク・キウンくん。
日本FC結成の動き?
5年前に出演した日本ホラー映画はハ・ジョンウさんも出演の「怪談 壱 「病院怪談」」
□宇佐美さんブログ 「注目の若手イケメン俳優」(12.16)
■「パク・キウン」(韓国)
------------------------------------------------------------------------------------------------
18日は中華街で忘年会だったので、昼間はヨンハも愛した横浜の散策となりました。
アルバム「LOVE」ジャケ撮影地巡りなど初めて訪れるという友人たちもいたので、
思い思い足跡を巡り歩いて撮影もしたりしていたのではないかと思います。
ランマ前で待ち合わせしました。
何年ぶりだろう。。
キマグレンプロデュースのツリー。
ライトアップショーは夕方から。
「奥村愛with神奈川フィルハーモニー管弦楽団 クリスタルコンサート」のリハが行われていました。
CDを聴いているかのような完璧な演奏、
次々と演奏されるクリスマス音楽に胸が熱くなりました。
ステージには近づけなかったけれど、ヨンハもこの場に立って同じ時間を過ごせたこと
幸せに思いました。
ランチには「新宿中村屋 オリーブハウス」
座席がゆったりしているのが心地よいです。
友人たちが注文した野菜カレー(だったかな)にはしめじがトッピングされていたのでセーフ。。
(しいたけ類はエノキ以外苦手なので。トホホ)
本日のランチメニューにキーマカレードリアがあったのでそれを注文。
あっつあつのドリア、チーズで辛さもマイルドになりトマトのほのかな酸味と相まって、美味しかったです。
そしてパシフィコ。
この辺りまで来ると閑散としていました。イベントも予定ない感じで。
1st追加公演には参加しませんでしたが、「永遠」イベントでのことが思い出されました。
シーバスにもみなとみらい→赤レンガ倉庫と逆ルートで乗って。
横浜からの乗船客で席は埋まっていたので雰囲気だけと思って撮りました。逆光だし。
ヨンハ写真がプリントされていたとか、イベ日はヨンハは乗れたけれど
イベ後は乗り場まで行ってみたけれど乗船できなかったなとか思い出はつきません。
ヨンハブルーの空と海に見守られているような気分にもなりました。
陽射しが眩しく暖かく受ける風の気持ちの良いシーバスでした。
スケートリンクは賑わっていました。
馬車道まで歩いて。
屋上に鐘が鳴りそうな外観のビルだよね、と話していた先に、カーンと鐘が鳴り響いてビックリ。
「Casa d' Angela~天使の住処~」という式場があって、屋上からその後ピンクと白の風船が沢山空に舞いました。
ビル近くまで来た時には新郎新婦がオープンカーに乗って両家に見送られるところでした。
新婦さんは肩を出しているドレスなので寒そうに見えました。
18日は大安だったようで。
アルバム「LOVE」ジャケ撮影地巡りなど
馬車道から山手までは休憩も挟んだ後バスで移動。
「今年2月頭」に私は撮ってみたのでほぼ割愛。
その時には開いていた扉も閉まっていたので、それだけ撮りました。
すっかり「LOVE」ブックレットを持参するのを忘れてしまったので
今回はその写真に重なるよう一緒に撮ってみようと思っていたのですが、またいずれ。
山手46番館を堪能した後は、フェリス横のあの急勾配な階段を下りていき
元町→中華街をぶらり。
まだ日が暮れかかりだったのでイルミネーションは撮りませんでした。
中華街話は次エントリーで。
2010年追悼「先に逝ってるぜ」-往時の姿を偲び、一年を振り返る(1)
パク・ヨンハ ほか
今日のヨンダリ前のMnetワイドニュースダイジェストで、
先日の東京ドームイベントの様子が放送され、
ヨンハのチャドの映像が流れたところが映ったと教えていただきました。
18日オンエア「BEASTS OF KOREA」
BEASTS OF KOREA 2010K-POP10大ニュースでした。
2位 パク・ヨンハ
「初めて~」オンエアされました。
SPアルバムが発売されたこと、亡くなったニュースを受け多くの方が衝撃を受けたこと、
その背景として言われているもの、
一緒に仕事をしたこともある古家さんは、
「今も彼が日本に来て、ステージに立って歌ってくれそうな気がするんですよねぇ。
10大ニュースに選ばれたというのも
歌手としての日本での功績が大きかったことが影響していると思います。
それほど歌の大好きな方でした。
もっといい演技、もっといい歌、聞きたかったんですけどもね。
あとは残された彼の音楽とか映像作品を、我々ならではのフィールド、
形、方向性で伝え続けていく、ということが大事なんでしょうね。
ほんとに、残念な方を失ってしまいました。。」
というコメントをしていました。
古家さんDJのこの番組はKジェネでも内容が被っていることも多いので、
Kジェネでもランクインされればオンエアされる率高そうです。。
↓
なんとKジェネでは未発表曲「Heart」がオンエアされました。
(曲紹介以外のコメントは同じ、順位は4位)
ここで初めて聴くことになろうとは!!!
サビの
好きで~
好きで~ ← “き”の部分がキュンときました。。
[ラジオ] 日曜18:00~InterFM 「Kジェネ」
■ネットラジオ 「ラジコ」
・「2010 韓国分け奉仕大賞] 企業大賞 SBS」
(抜粋)
分け現場放送,視聴者心も響いて
SBSは創社初期から倦まず弛まず社会奉仕プログラムを編成,
分け文化拡散に大きく寄与した功労を認められた。
1991年障害者のための最初の正規プログラム '愛の飛び石'を始まりに
'キア体験 24時間','SBS 希望TV'などが代表的例だ。
特に放送社では初めて企業の社会的責任を専担する
CSR(Corporate Social Responsibility)チームを設置,分け文化電波に特別な努力を傾けて来た。
2009年始めた SBS 希望 TVはこのような努力の '白眉'で数えられる。
大衆が好きな歌手,タレントが国内疏外階層とアフリカ及び第3世界子供を助けるのに
先に立つ姿を放送することで自然に視聴者の同参を導き出した。
廃鉱で村全体が貧困に追われた江原道精選では人気歌手が出演するコンサートと
体験行事を同時に進行,10万枚の煉炭基金を造成した。
また学校がないアフリカチャドではタレント故パク・ヨンハさんが出演,
視聴者たちの助けで結局学校(ヨナスクール)を建てたりした。
ニジェールなど飢えにくたびれたアフリカ家庭に '希望の塩素送り' キャンペーンを進行した。
このキャンペーンは一種の継走寄付でアフリカ 5,700余家具に 1万2,000余匹の塩素を寄贈して
これを受けた家庭が 18ヶ月後生ずる子山羊を隣りに与える事にしたのだ。
分けることを受けてまたこれを返してやる感動はそのまま奥座敷に伝わって視聴者の胸を暖かくした。
ユ・ヨンソックダムダム PDは "暖かい手長さ必要な人々に使い捨てではなく教育とともに,
生計油だ方法を悟るようにするなど長期的で実質的お手助けになることができて大きいやりがいを感じる"と
"このすべてのものは視聴者たちの絶対的呼応おかげさま"
と言いながら大賞受賞の球を視聴者たちに回した。
□朝鮮日報 「RUI、パク・ヨンハさんの意志を引き継ぎ慈善活動へ」(12.20)
□innolife 「イ・スンチョル、『アフリカ希望の学校づくりプロジェクト』発足」
・「イ・スンチョル,故パク・ヨンハ遺志引継ぎ 'アフリカ希望学校' プロジェクト進行」(12.18)
歌手イ・スンチョルが国際掛け声開発NGOグッドネイバーズとともに
'アフリカ希望学校作り' プロジェクトを進行する。
今度のプロジェクトはアフリカ死の心臓と呼ばれるチャドを含めた
アフリカ国家に学校を建立して子供達に希望を与えるプロジェクトで
グッドネーバーズとイ・スンチョルが 1年間一緒にする。
来る 23日からソウル蚕室主競技場で進行される 'イ・スンチョル25周年記念コンサート
- オケスト ROCK'で手始めを知らせる。
数千名のファンの前でアフリカ子供達に希望を与えることを約束するわけだ。
イ・スンチョルは"愛するファンと 'アフリカ希望学校作り'を一緒にしたい"と
"2011年に進行される公演を通じてこのプロジェクトを引き続くこと"と明らかにした。
アフリカ子供達がきれいな水を飲むように井破棄事業に後援して来たイ・スンチョルは
去る 10月から 'アフリカ希望学校作り' プロジェクトを準備して来た。
去る 10月,SBS 希望TVを通じてグッドネーバーズと 故パク・ヨンハがアフリカチャドに学校を建立して
希望を植えてくれた 'ヨナスクール' 放送を見た後
故人の意を引き継ごうと SBSとグッドネーバーズと協議して来たこと。
イ・スンチョルは "ほっそり痩せる身ではるか遠い道を歩いて
水を汲んで来ると生きて行くことができるし,
学校に一回も行って見られなかった子供達を見ながら胸が詰ったようになった"と
"何より パク・ヨンハさんによって芽ぐんだ子供達の希望が消えないように
その希望の紐を引き続きたい"と今度のプロジェクトを準備するようになった理由を明らかにした。
プロジェクトの手始めを知らせるコンサート当日,
コンサート場ロビーには '分かち合いブース'を設置して 'アフリカ希望学校作り' プロジェクトを紹介する予定だ。
またコンサート進行の中でアフリカチャド映像視聴を通じてイ・スンチョルが
今度のプロジェクトを提案するようになったきっかけを直接話して
ファンにも分かち合い参加を督励する予定だ。
この日販売される CD販売収益金全額もプロジェクトに使われる。
イ・スンチョルは "できるだけ早くチャドを訪問してどんな状況なのか直接見たい"
という意思を明らかにしたし,すぐグッドネーバーズを通じてアフリカチャドを訪問する予定だ。
マンネ~
・「SS501 キム・ヒョンジュン "故パク・ヨンハ兄さんの大きい力になった"」(12.18)
(抜粋)
キム・ヒョンジュンは最近マネートゥデースターニュースとインタビューで
"日本活動当時同じ所属社にいたヨンハ兄さんと親しくなる機会があった"と言葉を取り出した。
引き継いで "ヨンハ兄さんと自動車乗って一緒に旅行も行って,
私にいつも良いものをたくさん言ってくれて勇気を引き立ててくれた"と回想した。
彼は "実はヨンハ兄さんと私は本当に似ている環境だ"と言いながら
"家の生計を責任負う部分もそうだったし"と言いながら言葉を引き継ぐことができなかった。
彼は "ヨンハ兄さんがそんなに難しいとは思わなかった。分かったら"と言いながら
"ヨンハ兄さんはいつも私が尊敬する兄さんだ"と故パク・ヨンハを称えた。
キムヒョンジュンは去る 6月亡くなったパク・ヨンハの殯所を尋ねて悲しく泣いて席を守って人目を引いた。
■オリコン 「アルバムデイリーランキング」
17日22位、16日17位、15日12位、14日6位 パク・ヨンハ 「Park Yong Ha in 1095's」
16日21位、15日14位、14日8位 パク・ヨンハ 「Park Yong Ha in 1107's」
□innolife 「故パク・ヨンハ、人気は続く」(12.18)
□Wow!Korea 「故パク・ヨンハが贈る最後の“プレゼント”オリコン10位圏内へ」(12.17)
・「パク・ヨンハ,日本は彼を忘れることができない」(12.17)
去る 6月亡くなった韓流スターパク・ヨンハのスペシャルアルバム 2枚が
日本で発売開始直ちにオリコントップ10に進入した。
15日現地で発売された ‘Park Yong Ha in 1107'sと ‘Park Yong Ha in 1095'sは
オリコンアルバム部門デイリーチャート 6位と 8位に上がった。
デビューアルバム ‘便り’の発売日である 2004年 6月16日から
去る 6月26日川口総合文化センターで開かれたコンサートまでの日本活動を前期と後期に分けて盛った。
一方,日本 DATVは 25日パク・ヨンハのいつまでも慈善活動姿などを盛った
‘美しい青年パク・ヨンハの最後の願い’を放送する。
KBS 2TV ドラマ ‘冬ソナ’(2002)でスター級に上がったパク・ヨンハの日本内人気は相当だ。
日本で多くの枚のアルバムを発表したパク・ヨンハは 2004年11月シングル‘カジマセヨ’で
韓国男歌手最初でオリコンチャート 10位圏にランクされたりした。
去年 7月ミニアルバム ‘ワンスインサマー’はオリコンデイリーチャート 6位,
ウィークリーチャート 14位に上がって歌手パク・ヨンハの底力を確認した。
マジンガーことパク・キウンくん。
日本FC結成の動き?
5年前に出演した日本ホラー映画はハ・ジョンウさんも出演の「怪談 壱 「病院怪談」」
□宇佐美さんブログ 「注目の若手イケメン俳優」(12.16)
■「パク・キウン」(韓国)
------------------------------------------------------------------------------------------------
18日は中華街で忘年会だったので、昼間はヨンハも愛した横浜の散策となりました。
アルバム「LOVE」ジャケ撮影地巡りなど初めて訪れるという友人たちもいたので、
思い思い足跡を巡り歩いて撮影もしたりしていたのではないかと思います。
ランマ前で待ち合わせしました。
何年ぶりだろう。。
キマグレンプロデュースのツリー。
ライトアップショーは夕方から。
「奥村愛with神奈川フィルハーモニー管弦楽団 クリスタルコンサート」のリハが行われていました。
CDを聴いているかのような完璧な演奏、
次々と演奏されるクリスマス音楽に胸が熱くなりました。
ステージには近づけなかったけれど、ヨンハもこの場に立って同じ時間を過ごせたこと
幸せに思いました。
ランチには「新宿中村屋 オリーブハウス」
座席がゆったりしているのが心地よいです。
友人たちが注文した野菜カレー(だったかな)にはしめじがトッピングされていたのでセーフ。。
(しいたけ類はエノキ以外苦手なので。トホホ)
本日のランチメニューにキーマカレードリアがあったのでそれを注文。
あっつあつのドリア、チーズで辛さもマイルドになりトマトのほのかな酸味と相まって、美味しかったです。
そしてパシフィコ。
この辺りまで来ると閑散としていました。イベントも予定ない感じで。
1st追加公演には参加しませんでしたが、「永遠」イベントでのことが思い出されました。
シーバスにもみなとみらい→赤レンガ倉庫と逆ルートで乗って。
横浜からの乗船客で席は埋まっていたので雰囲気だけと思って撮りました。逆光だし。
ヨンハ写真がプリントされていたとか、イベ日はヨンハは乗れたけれど
イベ後は乗り場まで行ってみたけれど乗船できなかったなとか思い出はつきません。
ヨンハブルーの空と海に見守られているような気分にもなりました。
陽射しが眩しく暖かく受ける風の気持ちの良いシーバスでした。
スケートリンクは賑わっていました。
馬車道まで歩いて。
屋上に鐘が鳴りそうな外観のビルだよね、と話していた先に、カーンと鐘が鳴り響いてビックリ。
「Casa d' Angela~天使の住処~」という式場があって、屋上からその後ピンクと白の風船が沢山空に舞いました。
ビル近くまで来た時には新郎新婦がオープンカーに乗って両家に見送られるところでした。
新婦さんは肩を出しているドレスなので寒そうに見えました。
18日は大安だったようで。
アルバム「LOVE」ジャケ撮影地巡りなど
馬車道から山手までは休憩も挟んだ後バスで移動。
「今年2月頭」に私は撮ってみたのでほぼ割愛。
その時には開いていた扉も閉まっていたので、それだけ撮りました。
すっかり「LOVE」ブックレットを持参するのを忘れてしまったので
今回はその写真に重なるよう一緒に撮ってみようと思っていたのですが、またいずれ。
山手46番館を堪能した後は、フェリス横のあの急勾配な階段を下りていき
元町→中華街をぶらり。
まだ日が暮れかかりだったのでイルミネーションは撮りませんでした。
中華街話は次エントリーで。