神子屋教育🇯🇵(かみこやきょういく)

我が家流/みみかとママの「おうち」教育

清らかな魂/彼女が教えてくれたもの②

2007年05月24日 | ママ随想録
彼女の母親にとって、彼女は深い愛というものを教えてくれた神様でした。

私にとっても、彼女が教えてくれた大事な事があります。
それは、【会おうと思えば会える“今”、 声を聞こうと思えば聞くことの出来る“今”を大切にするということ!】

『いつでもいいやあ~、今度でいっか~、いつかねえ~。』
彼女に会いたいと思う気持ちを抱きながら、そんな風に過ごしてしまった私でした。
彼女に会いたいというその時の自分の願いを、私は叶えてあげられませんでした。

その後、私はなるべく先延ばしせず、人と会うようになりました。
その時の自分の思いや気持ちを大切にして、ちゃんと相手に伝えようと思うようになりました。
誰も、いつどうなるかなんて分からないのだから、明日はもう会えなくなっているかも知れないのだから・・。

“今”それが出来るということはとても貴重なこと。
そして、“今”感じるその時の気持ちはかけがえのないもの。
誰かと共にいるという当たり前のこと、この世に共に存在するという当たり前のことが、本当はとっても貴重でかけがえのない、『有り難い』奇跡なのかも知れないのです。
彼女の【死】は、“今ここに生きる”ことの大切さを私に教えてくれたのです。

そして、ともすれば忌み嫌われる【死】というもの・・・。
そのこと自体の素晴らしい意味合いを、私は彼女によって学びました。
【死】というものがあればこそ、この世に生きている“今”を大事にするということ、生かされている“今”に感謝するということ、そんなことに改めて気付かされるのです。
もし、肉体的に【死】というものが無かったならば、会おうと思えば会える“今”、 声を聞こうと思えば聞くことの出来る“今”、“今ここに生きる”こと、それを『有り難い』奇跡だと、本当に心から思えることは難しいのかも知れません。

彼女の【死】に対し、当時の私は悲しみと後悔と寂しさばかりを感じていました。
しかし、母親を深い愛へと導くための【死】を選んだ、彼女の潔い魂に私は感嘆し、彼女の【死】を通し“今ここに生きる”ことの大切さを私に教えてくれたことに、深く感謝するようになって行きました。
彼女の【死】を真正面から受け入れた今の私には、彼女は今も私と共にある・・そう思えます。
私はあなたであなたは私、私たちはひとつだから。

どんなに悲しく、苦しく、切なく、厳しく、醜い出来事であっても、必ずそこには大切な何かが隠されているはず。
それが何であるかを見つければ、見つめられれば、きっと素晴らしい世界が展開するのだと、私はそう信じています。
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