神子屋教育の場である我が家では「生命礼拝・尊重・祝福」の「生命教育」、そして「神の御心のままに(大いなる自然の力に)」全托の姿勢が基本です。
・全ての人間は、神の子であり仏の子であり、神性たるもの仏性たるものが宿る霊的な生命的な存在である。
・この世界は愛や光や善のみの素晴らしい実在であって、愛を知るため・愛を表現するため・愛を体験するために全ては存在している。
・自分の目の前に現れる全てのものは、自分のために何かを教えて下さる観世音菩薩様の展開であり、個個は全体の生命の一部であり自他一体の繋がった生命の世界である。
・『思ったとおりになる』世界であり、自分の想念が自分の世界を創り出している、従って全ては『自己の責任』である。
・地球にとって人類にとって自分にとっての純粋なる奉仕活動は、自己の魂に純粋に誠実にそして潔く、真理に根ざした生活を実践することである。
これらが、我が家の基本姿勢であり生き方であり教育となっています。
私とみみか、そしてジジバァバと一緒に生活をするようになった、この素晴らしい神子屋教育の場/我が家への導きも、「神の御心のままに(大いなる自然の力に)」全托の基本姿勢から始まっています。
みみかが生まれた当時、私たちは父母のいる実家で暮らしていました。
しかし、みみかが一歳のころ『自然のある田舎で暮らしたい!』そんな思いが私の中で湧き起こりました。
漠然とした思いのまま、私とみみかが暮らすための家探しが始まりました。
何の当てもなくただ心の赴くまま家探しをする私たちでした。
これと言ったいい所が見つからず、ある日辿り着いた神社に向かって「一番いい所へお導き下さい」と祈りを捧げました。
すると、程なく私とみみかが住むべき家に辿り着きました。
その家は今の我が家と同じ地域にあり、私が心で描いていた条件とほとんど合致していて、みみかと暮らすには十分でした。
また、その地域はどうしてだか分からないけれど、過去に無性に惹かれるものを感じたことのある地域でもありました。
気が付けば、私は知らず知らずその場所へと導かれていたのでした。
その家を真理に根ざした拠点にしたいと私は願い、そこで数年を過ごしました。
実家で暮らしていたころも今ほどではありませんが、すでに父の認知症の症状はありました。
父の認知症に対する原点となっている私の思い『関係性を超えて』にもあるように、最初は受け入れること自体が難しく悲しく切なかった私でした。
ですが、父のそのままありのままを受け入れ、一人の人間として彼を愛することを目指した私の姿勢は、実家を出てからもずっと変わることはありませんでした。
やがて、父のさまざまな症状が見え始め、母のストレスも感じられるようになってきました。
自然があるわけでも特別な施設があるわけでもない実家で、母のいない一人きりの時間を過ごすより、環境的にも私たちの住む地域の方が父には良いように私は感じていました。
それに、話し相手のいない父にとって、みみかといるということがどれほど大きな喜びになるか分からないと、私には思えていました。
この先、父の症状もどのように変化するのか予想も出来ず、母にとっても仕事を持ちながらの父のお世話はかなり難しくなってくるだろう。
もしかしたら、父の下のお世話をしなくちゃいけない日がやって来るかも知れない・・。
そんな想像をしながら考えあぐね、「娘として父の生活のお世話をしたい!」「母の負担を軽くしてあげたい!」そう思う日々を重ねていました。
やがて、私の心の奥底から魂の叫びといわんばかりに、『父母と一緒に暮らして親孝行がしたい!』そんな思いが溢れ出して来ました。
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・全ての人間は、神の子であり仏の子であり、神性たるもの仏性たるものが宿る霊的な生命的な存在である。
・この世界は愛や光や善のみの素晴らしい実在であって、愛を知るため・愛を表現するため・愛を体験するために全ては存在している。
・自分の目の前に現れる全てのものは、自分のために何かを教えて下さる観世音菩薩様の展開であり、個個は全体の生命の一部であり自他一体の繋がった生命の世界である。
・『思ったとおりになる』世界であり、自分の想念が自分の世界を創り出している、従って全ては『自己の責任』である。
・地球にとって人類にとって自分にとっての純粋なる奉仕活動は、自己の魂に純粋に誠実にそして潔く、真理に根ざした生活を実践することである。
これらが、我が家の基本姿勢であり生き方であり教育となっています。
私とみみか、そしてジジバァバと一緒に生活をするようになった、この素晴らしい神子屋教育の場/我が家への導きも、「神の御心のままに(大いなる自然の力に)」全托の基本姿勢から始まっています。
みみかが生まれた当時、私たちは父母のいる実家で暮らしていました。
しかし、みみかが一歳のころ『自然のある田舎で暮らしたい!』そんな思いが私の中で湧き起こりました。
漠然とした思いのまま、私とみみかが暮らすための家探しが始まりました。
何の当てもなくただ心の赴くまま家探しをする私たちでした。
これと言ったいい所が見つからず、ある日辿り着いた神社に向かって「一番いい所へお導き下さい」と祈りを捧げました。
すると、程なく私とみみかが住むべき家に辿り着きました。
その家は今の我が家と同じ地域にあり、私が心で描いていた条件とほとんど合致していて、みみかと暮らすには十分でした。
また、その地域はどうしてだか分からないけれど、過去に無性に惹かれるものを感じたことのある地域でもありました。
気が付けば、私は知らず知らずその場所へと導かれていたのでした。
その家を真理に根ざした拠点にしたいと私は願い、そこで数年を過ごしました。
実家で暮らしていたころも今ほどではありませんが、すでに父の認知症の症状はありました。
父の認知症に対する原点となっている私の思い『関係性を超えて』にもあるように、最初は受け入れること自体が難しく悲しく切なかった私でした。
ですが、父のそのままありのままを受け入れ、一人の人間として彼を愛することを目指した私の姿勢は、実家を出てからもずっと変わることはありませんでした。
やがて、父のさまざまな症状が見え始め、母のストレスも感じられるようになってきました。
自然があるわけでも特別な施設があるわけでもない実家で、母のいない一人きりの時間を過ごすより、環境的にも私たちの住む地域の方が父には良いように私は感じていました。
それに、話し相手のいない父にとって、みみかといるということがどれほど大きな喜びになるか分からないと、私には思えていました。
この先、父の症状もどのように変化するのか予想も出来ず、母にとっても仕事を持ちながらの父のお世話はかなり難しくなってくるだろう。
もしかしたら、父の下のお世話をしなくちゃいけない日がやって来るかも知れない・・。
そんな想像をしながら考えあぐね、「娘として父の生活のお世話をしたい!」「母の負担を軽くしてあげたい!」そう思う日々を重ねていました。
やがて、私の心の奥底から魂の叫びといわんばかりに、『父母と一緒に暮らして親孝行がしたい!』そんな思いが溢れ出して来ました。
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