鉄筋コンクリート造りのマンショョンも 30年も経過すればあっちこっちに
痛みが出てくる。若い世帯のひとたちは 家屋の改装を大々的に行っている。
だが 年老いた我々には そんな冒険が できるわけがない。
小口に 改修わ行うことで 良しとしなければ ならない。
悪くなる時は次々だ。トイレが済んだと思ったら クーラーが止まった。
おり悪く今年一番の寒気団に覆われ寒さの最中。北野人たちの難儀を
思い起こした。部品がそろって 工事完了。次は風呂場ととどまるところを知らない。
恐らく原子力発電国民みんなが関心を持っているのは このことだ。
使節の各所に披露状態が拡大している。原子力委員会のOKも 絶対的なものではない。
多分に政治的ものでもあろう。それが怖い。
ふたたび福島が起きたら 世界も同情をしなくなっているだろう。
「日本人は広島、長崎と核の洗礼を受けた。そして福島だ。たいていそこまで来たら
核に敏感にならねばならないはずだが、なぜだ。
めいわくするのは日本丈ではないのに 地球をほろぼすつもりか。
わたしはボソッと「申し訳ありません。」と断る以外にない。
要は 賛成派のひとたちは 電力不足になることを恐れているわけではない。
金即補助金がなくなることが 惜しいからなんだ。そう思わざるを得ない。
どんなに技術開発が進もうが核が鬼っ子であることは避けようがない。
新品に取り換えるにしても 廃炉しなければ成せない。
それに 半世紀近くかかるというのだ。循環型代替エネルギーの深化
も進んできて コストも我々が思う以上に低廉な価格に収まる。
画期的な蓄電池の開発スピードも進んでいる。太陽電気も雨や曇り
を気にしなくてもいいようになる。或る日は予想外の新代替エネルギーが
発見されるかもしれない。
用心深く 大胆に 変化の波に取り組まねばならない。
安易に 衝動的に あたふたと 取り込むべきものではない。
なぜ こんな狭い日本に 秒速単位の列車が必要なのか。なぜ
雲をも貫く高層建築が必要なのか。そこに夢があるからなどときざなセリフ
でかたずけられたら 迷惑な話だ。