27年度の、子ども読書ボランティアリーダー養成講座の資料を以前 資料室で読みました。
これが各団体に送られてきたので、もう一度目を通しました。
それぞれの講師の言い分はわかりますし、少しの変化はあるものの、数十年前から変わっていないのだなと思いました。
基本的に、私は、ボランティアは市民の側の活動であって、行政の下請けをするのは間違いだと思っていますので、行政が音頭をとる「ボランティアリーダー」そのもののありように疑いを持っています。思い出すのは、本で読んだことですが、戦争中に一斉に教育紙芝居を教室でやった、行政下請けの人たちの姿です。どうも絵本のジャンルはそれと同じ道を行っているように思えてなりません。
そもそも、人はみな対等で上下関係のないところに平和がありますから、ボランティアにリーダーはいなくて、子どもと本にかかわるのは横に広がる草の根の活動だと思っています。コーディネートする人がいてもいいですけどね。
付け加えて、以前も書いたように、それぞれの講師(特に新潟市の)は、生々しい現場の実態をわかっていない方々ですから、現実と離れていろいろな指導をされても、現場は混乱するばかりでしょう。県の行政は、担当者はどんどん変わりますから、とにかく自分の時にエラーをしないようにやるのでしょう。
私との大きな視点の違いは、前述の講師が口をそろえておっしゃる「本が主役」というキーワードです。私は、読書をするのは人間ですから、本を選ぶのも感じるのも子どもに届ける時も、「人が主役」でなくてはならないと思っています。読み聞かせの時に激しい手振りをしたりオーバーな読み方をするのを防ぐためかもしれませんが、このキーワードで教えるから、「しずしずと」「間違えず」「上手に」読むことに集中し、ボランティア同士がお互い傷つけあい、争い、上下関係を作るもとになるのではないかとも思うのです。
人が主役で、本は人が育つ道具であるという考えは、新潟市でもかなり言われるようになってきました。これらの講師は、別の場面ではちゃんと「本はコミュニケーションツール」と言っている。その流れで自分の頭で考えれば、「本よりも人が主役」となるんじゃないか、と私は思います。
印刷物が貴重なものだった過去から、少し前に進みませんか?人が、情報を主体的に選択していくことが、学びでもあると思います。