読み聞かせという言葉の使い方の変化

絵本BOOKENDの2015年版で 「ブックスタートの検証ー絵本書店の立場から」(横田重俊)と題した文章がとても気に入ったので、ピックアップして書きます。

絵本書店の立場から、一般の親たちがどんなふうに迷い、書店主に尋ねているか書いてあって、お母さんたちの不安げな様子が手に取るようにわかりました。また常々私も感じている「読み聞かせ」という言葉の現実とのブレも整理されていたので、うれしかったです。

最初は「読み聞かせ」は集団相手にやることのつもりで作られたけれど、やがて家庭で個別に読むことも「読み聞かせ」といわれるようになったこと。出版社が宣伝のために「読み聞かせに向く」などとやって、それが混乱のもとになったこと。集団相手に到底使えないようなものも「読み聞かせに最適」などと宣伝されていったこと。
 今も、集団相手に絵本を読むときの私の違和感はぬぐえず、五味太郎の言う「個的活動」に無理に絵本を使っている後ろめたさがあります。ただ、小学校の高学年では物語絵本を、とても子どもが期待している様子もあり、ここで紙芝居ができたらなあ、と思ったりします。

この文章のもう一つのポイント。「絵本を読み聞かせると本好きの子どもになる」という類のインプットがお母さんたちにされているということ。絵本のことでまた育児不安を増やしているという問題。おまけに新潟市では「読み継がれた良い本を与えて」という講座が頻繁にあるわけだから、ボランティアの不安が母親にも伝染しているのではないかという私の不安も付け加えます。

 松居直氏が「上から下へ下す運動でなく地域の草の根からの運動でなければならない」と述べておられるそうで、これは県のお役人によくわかってほしい。県は、とにかく上から下したくて仕方がないらしい。やってる人にしてみれば「草の根に肥料をやっている」つもりかもしれないが、その肥料は特定の趣味に向かう肥料ではないでしょうか。読書が、受け手めいめい違うはずの個人の楽しみを離れて、「ざあます臭」プンプンのおばさん育成に力を入れるようでは困るんじゃないだろうか。

 

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