図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
子どもだけが好きな本
いつだったか、新潟市内の読み聞かせボランティアの交流会の時に、赤木かん子さんの言葉として、「本には3種類ある。子どもだけが好きな本、子どもも大人も好きな本、大人だけが好きな本」というような発言がありました。
その「子どもだけが好きな本」と言ったときに、周囲からくすくすと笑い声が起こったのを覚えています。どういう感覚で笑われたのか、私の想像で書いていきます。
おそらくは、おもちゃみたいな本のことを指して、冷笑されたのではないでしょうか。
実は、私は、その「子どもだけが好きな本」は、「子どもの文化」ではないかと思っているのです。何より大切で、ボランティアがそこから学ぶ必要があるというのに、「子どもの文化」を冷笑するボランティアが増えていることを怖れています。そして、「子どもに寄り添う」などと言って、子どもの本を差別しているのが現実であることも認識しています。子どもの文化を研究することなく、ステップアップと称して排除の対象にしているということです。「こういう本は読み聞かせに使わない」とかね、堂々とおっしゃる。 学校などに入るボランティアが、そういった差別感覚を持っておはなし会をする。そういうボランティアを図書館が養成している、この現実の前に立ちすくむばかり。
規制の問題もあります。教育の場所だからある程度の規制は必要である、だから自分たちがルールを作り、その範囲内でやるんだ、という意識があります。ところが、これが授業時間を使うのだからという思いから、なるべく実のあるような良書、しかも正しく読むように指導するのが正しい、らしい。異端やそれ以外は排除へと向かっています。それほど正しく読むことが大切ならば、研修会の講師のM先生をボランティアが指導しなくちゃいけないね。「センセ、アクセントが違うでしょ、ちゃんと持たなくちゃだめでしょ」とかね。
私は、これは井戸の中の蛙のようなものだと思っています。自分たちで井戸(ドツボ)を作り、ドツボを学校に移動させるというイベントになっている。井戸のレンガは「あれはここが悪い」「これのここがダメだから読まない」などと排除の論理で分厚くなっていき、中にいるボランティアがどんどん追い詰められてお互いを傷つけあうことになる。それをステップアップを思い込むようになる。異様な規制が広がっています。
ボランティア団体に入る時でさえ、講座受講生に限ると規制をかけ、自分たちと同じ感覚の人間だけでやっていこうとする。違うものを受け入れられない人間が増えていく。
違うものを排除することより、違うものといかに知恵を働かせて共に生きていくかが大切なことだと思うのです。井戸というレンガの囲いを乗り越えて広い野原に出て、子どもと交流するという方向はどうでしょう。
その「子どもだけが好きな本」と言ったときに、周囲からくすくすと笑い声が起こったのを覚えています。どういう感覚で笑われたのか、私の想像で書いていきます。
おそらくは、おもちゃみたいな本のことを指して、冷笑されたのではないでしょうか。
実は、私は、その「子どもだけが好きな本」は、「子どもの文化」ではないかと思っているのです。何より大切で、ボランティアがそこから学ぶ必要があるというのに、「子どもの文化」を冷笑するボランティアが増えていることを怖れています。そして、「子どもに寄り添う」などと言って、子どもの本を差別しているのが現実であることも認識しています。子どもの文化を研究することなく、ステップアップと称して排除の対象にしているということです。「こういう本は読み聞かせに使わない」とかね、堂々とおっしゃる。 学校などに入るボランティアが、そういった差別感覚を持っておはなし会をする。そういうボランティアを図書館が養成している、この現実の前に立ちすくむばかり。
規制の問題もあります。教育の場所だからある程度の規制は必要である、だから自分たちがルールを作り、その範囲内でやるんだ、という意識があります。ところが、これが授業時間を使うのだからという思いから、なるべく実のあるような良書、しかも正しく読むように指導するのが正しい、らしい。異端やそれ以外は排除へと向かっています。それほど正しく読むことが大切ならば、研修会の講師のM先生をボランティアが指導しなくちゃいけないね。「センセ、アクセントが違うでしょ、ちゃんと持たなくちゃだめでしょ」とかね。
私は、これは井戸の中の蛙のようなものだと思っています。自分たちで井戸(ドツボ)を作り、ドツボを学校に移動させるというイベントになっている。井戸のレンガは「あれはここが悪い」「これのここがダメだから読まない」などと排除の論理で分厚くなっていき、中にいるボランティアがどんどん追い詰められてお互いを傷つけあうことになる。それをステップアップを思い込むようになる。異様な規制が広がっています。
ボランティア団体に入る時でさえ、講座受講生に限ると規制をかけ、自分たちと同じ感覚の人間だけでやっていこうとする。違うものを受け入れられない人間が増えていく。
違うものを排除することより、違うものといかに知恵を働かせて共に生きていくかが大切なことだと思うのです。井戸というレンガの囲いを乗り越えて広い野原に出て、子どもと交流するという方向はどうでしょう。
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