去年は右手和子さんが亡くなられて、夏に新潟にも来られていたので大変驚きました。夏に受講された方は、そのすごい実演に圧倒されたのか、紙芝居はああやってやらなくちゃいけないと思い込まれた方も多いようです。自分にはああいう風にはとってもできないと、しり込みする様子をあちこちで見ました。
そんなことないんだけど、と私は一生懸命言っています。みんな違っていいんだし。右手さんも「別にコンクールやってる訳じゃないし」などとおっしゃっていたと、伝え聞きました。できる範囲でそこそこに、あとは聞き手にまかせればいいんじゃないんかなと思います。
「あんなふうに上手くできないけど自分なりにやるんだ」と思った時点で、その人は一歩前に進まれることと思います。絵本の読み聞かせも、皆が通った道ですから、安心して一歩進んでください。皆が待っています。
みんな、出番が少ないのが問題なんじゃないかと思います。もちろんむやみに活動場所を増やしてアップアップするのも考え物ですが、一つやるごとに深ーーーーく反省会をして、ああだこうだとやっていくと、いつのまにか自分たちだけの甘美な世界に入っていきます。聞き手はそんなこと求めていないし、ゆるやかな幅広いつながりのほうを求めているんじゃないかと思います。そこから学ぶのは、受け手ですから。
何より、「むやみに手を広げない」だったか、誰かが言った言葉をオウム返し風に口にするボランティアが多いのが気になっています。それは、刷り込みです!!どうか、自分がどうしたいのか考えて、優先順位を決めて、なるべく簡単な方法に改革し、本来の絵本の形に寄り添った方法で、手を広げればいいんじゃないかと思います。