語り手たちの会の会報を読んでいます。櫻井さんには2年前に少しだけお会いしました、だから少しだけ書き残します。
電話で初めてお声を聞いた時は、『いや~、声だけでこれだけのインパクトがある人がいるんだ~』などと 立ちすくむような気持ちでした。
語り手たちの会報をいろいろ読むにつれ、驚くことばかり。『古事記を語ったんだって・・・いや~、古事記ってどうやって覚えるん・・』などと素人丸出しの、これもまた、あっけにとられて立ちすくむ、といったところ。
随分遠いところの人のはずですが、大工と鬼六のことが、今の私の転換のきっかけだったかも知れないので、そのことを書こうと思います。8年位前か、当時語りを習っていた先生が大工と鬼六のレポートを書かれたのですが、その中に櫻井さんの名前がありました。あ、この名前、どこかで聞いたような、と、ふと立ち止まり、それから一気にタイムマシンに乗ったように20年くらい時代を遡りました。あれは一体なんだったんだと、あちこちの本を探しました。はるか昔、新聞の文化欄にその記事があったのを読んだような、これは事実なのか錯覚なのか、ぼんやりした記憶まで現れました。
その後、大阪に行ったときは、時間を見つけて大阪国際児童文学館を訪ねてみました。そこの椅子に座って、なんとかその時代の空気を共有したいと思いました。その頃、新潟市は昔ばなし大学がやってきて、昔話は権威のてっぺんに登っていました。ナンなんだこれは、の連続でした。それからしばらく、私の頭の中にはあっち方向のベクトルとこっち方向のベクトルがぶつかり合う、といった状況になりました。 (これは、書いている私にしか意味が分からない文です。どうもすいません)
だから、2年前に喫茶店で片岡さんと櫻井さんにお会いした時も、どうも大工と鬼六がアタマの上で踊っているような、変な感じでした。
私を見て、「あなたはブログに写真を出さないの?」と尋ねられたのですが、「いや~、恥ずかしくて」と答えると、櫻井さんはいたずらっぽく「私って出たがりなの」と仰いまして、『な、なんて(おちゃめな)やつだ』と、これはなんだか同年輩の人としゃべってるみたいな気分になりました。 そう言いながらも、よく考えると私もテレビに出たりしたときもあったんです、会の宣伝のためなら、別人格になるんだな~これが。
誰もみな、何かのために必死になる時があるのでしょう。それは、自分の親しんだ過去や自分が育てたものに対する思い、なのかも知れません。そしてそれは、どんな人にとっても、皆、同じように大切にされるべきもの。そしてその思いが異様に大きくなった時にどんなことが起きるのか。
その日の翌日は「月語り」の公演だったですね。その直後、入院されて・・・、ということでした。しばらくは、私の中で整理がつかない問題でした。
大切なキーワード「櫻井美紀」さんに合掌。