権力下請け型リーダー

数年前、長岡の読み聞かせのリーダーを行政が指名して、(例えば、絵本はAさん、紙芝居はBさん、というふうに)PRされたことがありました。西蒲区もそうですね、読み聞かせのリーダーはCさん、ということだそうです。
 それらの方々はどのように決まり、どのような活動をされたのか、特に長岡のことは調べようもなく、「そういうこともあるんだろうな~」と見ていました。行政にすれば「市民協働」のつもりなのでしょう。

 それに並行して、自主研修会というのも新潟市にはできました。ただ、そこの「世話人」と「読み聞かせリーダー」がごっちゃに認識されていましたね。今はどうでしょう。図書館司書が、自分がかつて習ったとおりにせっせとそのリーダーを育てたり、司書が今までのやり方に沿ってボランティアを意のままにコントロールしようとしている様子が今もあります。時々、メゲることもあるけれど、私はこれからも、それなりに対応させてもらうつもりです。
 「受講生に好評で」というのは、「わかりやすく一定方向に導いてくれるから好評」なのではないでしょうか。そういうのは民主化でなく、権威化ではないかと思っています。新潟市の図書館は、長い時間をかけてそういう市民を作ったのです。これからどのような方向に向かうのでしょう、館によっては何の反省もないようです。

 ミャンマーのスーチー女史のことを思い出してみます。民主化リーダーというのは、権力から指定され指名されて、権力者の思う方向に民衆を率いるのではないのです。スーチーさんはそうではないですね。権力(この場合行政や図書館)がリーダーを指名するのはおかしいことではないでしょうか。そのことを書いておこうと思います。私はこれを理解しているつもりだけれど、時として自分でも知らないうちに行政の思うことが正しいことのように錯覚して、また、指名されて喜んでしまうことがありました。
 これからは、その立ち位置を自分でもしっかり押えて、風向きを決めるのは普通の利用者だということを自分に言い聞かせています。

 

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