図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
新潟の昔話(民話)
新潟県は南北に長く、上・中・下越に地域区分して認識されることが多いです。
私は、上越生まれで、新潟市(下越)に越して、また引越して小出(今の魚沼市・中越地区)に住んだことがあり、生意気かもしれませんが県内それぞれの地域の感覚を少しだけ持っています。土地言葉もそれぞれ違うことを、耳で聞いてわかっています。東京に少し住んだこともあり、都会の感覚も面白いなと思います。
中越から新潟市に車で向かうと、気候が違うということがはっきり感じられます。左右に迫る魚沼の山がどんどん遠ざかり、小千谷と妙見堰(地震で車が巻き込まれた所)、2箇所の大きなカーブを曲がるたびに空が明るくなります。下越に近づけば山ははるか遠くに風はカラリとして、福島の山が小さく見える程度。
上越は長野圏に近く、古い城下町で街中は雁木通り。伝統を重んじ保守的な地盤なのかなという印象があります。小川未明や杉みき子さんなど、創作系児童文学の盛んなところでしょうか。
上越の高田地区に杉本キクイさんという瞽女さんがかつておられ、この方の語りが昔話集として出されています。この方のお父さんがいわゆる口演童話家で、いつも近所の人たちに語っていて、キクイさんもそこから覚えたということも読みました。上越の旧三和村の、ある瞽女宿で、昔話の伝承が行われたという記述も読みました。目あきの瞽女さんを先頭に3人が行列して歩くのですが、目の見える人もいたのだから、もしかしてその家に・・と思ったこともありました。別のページにも書いてあります。
中越は、昔話の宝庫です。都市部の長岡の向こうに山が連なり、その道を分け入って瞽女さんや旅の人が伝播していったのでしょうか。瞽女さんは唄の他に語りも披露したのですね、瞽女さんから聞いた話として、資料にも残されています。水沢謙一氏の仕事は、ほんとにすごいですよね。人間ってやればここまでできるんだなー、と思います。
話の集まりかたとしては、奥只見のダム工事のことが記されています。全国から大勢の労働者が集まり、そこで話も交差したそうです。全国伝播の話がとても多いのは、そのせいもあるのかなーなどと思います。(もっとちゃんと学問している方も多いので、あんまりお調子にのってはいけませんが)
山に向かって行き止まりの道(いきづまり・妻有)もあり、そこにある集落をさして妻有郷と、十日町や津南などをさしてそう言います。話もそこで溜まったのか、昔話の採話地として有名です。
下越ですが、新潟市は泥と水との戦いの歴史で カメだの河童だのの伝説が多いです。全国伝播のものも多少ありますが、はなからアブというようなちょっとした話が多いのです。外に向かって開かれた港町ですから、新しい物を尊ぶといった気風も大きいでしょう。だから、新潟市で全国伝播の昔話といっても、市街地の方はあんまり興味がないみたいです。教科書にあったなー、くらいなもので。
周辺地域には地元の伝説も多いので、それらを尊重したほうがいいような気がします。プロ芸人さんのファンも多いので、新旧がうまく混ざっている感じでしょうか。
方言について書きます。
「新潟弁」と言っても、大倉修吾さんや故人のサツばあちゃんがラジオで語って人気になった新潟市近辺のアクセントをそう指していうことが多いという気がします。詳しい人はそれも沼垂だの新潟島だのに聞き分けるみたいです。それとは別に新津・新発田・豊栄などそれぞれの地域のアクセントや言葉があります。
長岡弁を指して新潟弁とは言わないし、高田弁、直江津弁、など、ごく小さい地域でそれらの方言は独立して存在していました。こういう微妙なニュアンスは県外からは分かりにくいかもしれません。でも、どの県も県内に複数の土地言葉がありそうですよね。
そして、もちろん朗読とは違うものだという意識はお持ちでしょうし、外部の人には意味不明の言い方や まちがいをすべて含めての語りが、楽しまれたのでしょう。語りの技術がいらない語り、そういったことを皆理解して、自分の地域で頑張って進みたいと思います。
大人の会議などで意見を聞くときに注意していると、簡潔に要領よくユーモアを交えてなど「話し方」講座などを受けているのかな、と分かる方もあります。「語り」はそれと違うというイメージがあります。こういうのも微妙なニュアンスですよね、聞くことの感性かな。
これからのことを、考えます。ネットで、日本民話の会とかネットワークとかを探してみれば、いろいろな語りのグループが現れます。子どもが違和感無く聞けるように、語りに参加できるように、いろんな方法が試されているようです。もちろん子どもに無理強いをして、大人がいい気分になっていたら、それはみっともないですよね。
数年前、『くいしんぼう』を手作りしました。それは、弥三郎ばさ伝説が県内あちこちにあることを知り、各地域の特徴をもつ弥三郎ばさを3人登場させて、主人公を巡らせて、一つの話にしたものです。中越の話は陰惨なので、食べ物に変換しました。だから、昔の貧しい時代の暮らしを表現した口承のものと イメージが違うと批判されるかもしれません。
地域の方が、過去の厳しい時代を残したいと考え語られたもの、それから、物語としての面白さだけ取り出した物、それを並行させたいと個人的には思うのです。
12月26日追記
地域の話を語ったり、手作り紙芝居を作ったりするときに、出典をどこかに記録する習慣をつけたほうがいいと思います。プログラムとか、紙芝居の奥付(最後のセリフ面)などに書いてください。そうすると、おはなしの命がつながっているとか、地域独自のものだとか、はっきり感じることができます。全国流通の印刷紙芝居にはない、新潟の昔話(民話)の紙芝居になります。
私は、上越生まれで、新潟市(下越)に越して、また引越して小出(今の魚沼市・中越地区)に住んだことがあり、生意気かもしれませんが県内それぞれの地域の感覚を少しだけ持っています。土地言葉もそれぞれ違うことを、耳で聞いてわかっています。東京に少し住んだこともあり、都会の感覚も面白いなと思います。
中越から新潟市に車で向かうと、気候が違うということがはっきり感じられます。左右に迫る魚沼の山がどんどん遠ざかり、小千谷と妙見堰(地震で車が巻き込まれた所)、2箇所の大きなカーブを曲がるたびに空が明るくなります。下越に近づけば山ははるか遠くに風はカラリとして、福島の山が小さく見える程度。
上越は長野圏に近く、古い城下町で街中は雁木通り。伝統を重んじ保守的な地盤なのかなという印象があります。小川未明や杉みき子さんなど、創作系児童文学の盛んなところでしょうか。
上越の高田地区に杉本キクイさんという瞽女さんがかつておられ、この方の語りが昔話集として出されています。この方のお父さんがいわゆる口演童話家で、いつも近所の人たちに語っていて、キクイさんもそこから覚えたということも読みました。上越の旧三和村の、ある瞽女宿で、昔話の伝承が行われたという記述も読みました。目あきの瞽女さんを先頭に3人が行列して歩くのですが、目の見える人もいたのだから、もしかしてその家に・・と思ったこともありました。別のページにも書いてあります。
中越は、昔話の宝庫です。都市部の長岡の向こうに山が連なり、その道を分け入って瞽女さんや旅の人が伝播していったのでしょうか。瞽女さんは唄の他に語りも披露したのですね、瞽女さんから聞いた話として、資料にも残されています。水沢謙一氏の仕事は、ほんとにすごいですよね。人間ってやればここまでできるんだなー、と思います。
話の集まりかたとしては、奥只見のダム工事のことが記されています。全国から大勢の労働者が集まり、そこで話も交差したそうです。全国伝播の話がとても多いのは、そのせいもあるのかなーなどと思います。(もっとちゃんと学問している方も多いので、あんまりお調子にのってはいけませんが)
山に向かって行き止まりの道(いきづまり・妻有)もあり、そこにある集落をさして妻有郷と、十日町や津南などをさしてそう言います。話もそこで溜まったのか、昔話の採話地として有名です。
下越ですが、新潟市は泥と水との戦いの歴史で カメだの河童だのの伝説が多いです。全国伝播のものも多少ありますが、はなからアブというようなちょっとした話が多いのです。外に向かって開かれた港町ですから、新しい物を尊ぶといった気風も大きいでしょう。だから、新潟市で全国伝播の昔話といっても、市街地の方はあんまり興味がないみたいです。教科書にあったなー、くらいなもので。
周辺地域には地元の伝説も多いので、それらを尊重したほうがいいような気がします。プロ芸人さんのファンも多いので、新旧がうまく混ざっている感じでしょうか。
方言について書きます。
「新潟弁」と言っても、大倉修吾さんや故人のサツばあちゃんがラジオで語って人気になった新潟市近辺のアクセントをそう指していうことが多いという気がします。詳しい人はそれも沼垂だの新潟島だのに聞き分けるみたいです。それとは別に新津・新発田・豊栄などそれぞれの地域のアクセントや言葉があります。
長岡弁を指して新潟弁とは言わないし、高田弁、直江津弁、など、ごく小さい地域でそれらの方言は独立して存在していました。こういう微妙なニュアンスは県外からは分かりにくいかもしれません。でも、どの県も県内に複数の土地言葉がありそうですよね。
そして、もちろん朗読とは違うものだという意識はお持ちでしょうし、外部の人には意味不明の言い方や まちがいをすべて含めての語りが、楽しまれたのでしょう。語りの技術がいらない語り、そういったことを皆理解して、自分の地域で頑張って進みたいと思います。
大人の会議などで意見を聞くときに注意していると、簡潔に要領よくユーモアを交えてなど「話し方」講座などを受けているのかな、と分かる方もあります。「語り」はそれと違うというイメージがあります。こういうのも微妙なニュアンスですよね、聞くことの感性かな。
これからのことを、考えます。ネットで、日本民話の会とかネットワークとかを探してみれば、いろいろな語りのグループが現れます。子どもが違和感無く聞けるように、語りに参加できるように、いろんな方法が試されているようです。もちろん子どもに無理強いをして、大人がいい気分になっていたら、それはみっともないですよね。
数年前、『くいしんぼう』を手作りしました。それは、弥三郎ばさ伝説が県内あちこちにあることを知り、各地域の特徴をもつ弥三郎ばさを3人登場させて、主人公を巡らせて、一つの話にしたものです。中越の話は陰惨なので、食べ物に変換しました。だから、昔の貧しい時代の暮らしを表現した口承のものと イメージが違うと批判されるかもしれません。
地域の方が、過去の厳しい時代を残したいと考え語られたもの、それから、物語としての面白さだけ取り出した物、それを並行させたいと個人的には思うのです。
12月26日追記
地域の話を語ったり、手作り紙芝居を作ったりするときに、出典をどこかに記録する習慣をつけたほうがいいと思います。プログラムとか、紙芝居の奥付(最後のセリフ面)などに書いてください。そうすると、おはなしの命がつながっているとか、地域独自のものだとか、はっきり感じることができます。全国流通の印刷紙芝居にはない、新潟の昔話(民話)の紙芝居になります。
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