昔話は格が上か

今年もストーリーテリング講座として、昔話についてレクチャーがあるようです。

この、昔ばなしというジャンルについて、いろいろな解釈があります。私は、「民話」という、普通の人々が面白おかしくおしゃべりしていった楽しみを、「伝説」「昔話」「世間話」「神話」と分割して、その中の一つとしての昔話だと認識しています。

 新潟市は、どうしたわけか「昔話」を「伝説」よりも一段格上としてみる風潮があることを、以前から書いてきました。古老から聞き取ったときに「むかしむかし」で語り始めたから昔話だ、などとびっくりするような物差しもありました。人間の楽しみよりも、誰かが作った理論に人間を合わせるのだ、という教育が大手を振ってまかり通っています。 

 対して、人間が工夫していったあとを研究者が拾い集めるのにな~、というのが私の考えです。絵本『うんちっち』などは「むかしむかし」とはじまるけど、じゃあそれが昔話か、というとまったく関係ないですね。「さあ、はなしをはじめますよ」というおまじないでもあるわけで、おまじないを使うかどうかは、語り手の自由。伝説であっても「むかしむかし」とやっても一向にかまわないと思います。かのおてて絵本を見よ、子どもだって「むかしむかし」とてのひらを広げてやっているじゃないか。

 図書館教育は、本に書いてあった物差しを振り回して、「やーね、あのひとたちなんにもわかっていないんじゃないの、おっほっほ」というおっほっほ婆を大量に発生させてきました。
 私は、人が声に出して語り、いろいろな工夫を凝らしてコミュニケーションをとろうとするところに文化が生まれると思います。本よりも人が大事であり、図書館は行政機関なのだから、人間を大切にする方向に向かっていってほしいもの。

 そして、「ものがたりの基本としての昔話」であるならば、「昔話」はたまご、「伝説その他」はにわとり、だと思うといいよね。たまごからにわとり、成長しておおきいにわとり、そこから生まれるたまご・・・と、はてしなく続きます。本に書いてあった「昔話」は、人間がにわとりのかたちに育てていけばいい。 
 「イワシのあたまも信心から」というような例えもありますが、なんだか分からないものを権威付けしてそれに擦寄って、自分もステップアップしたような気分になる、ことを一人ひとりが警戒したほうがいいと思うよ。先の戦争で、しっかり反省した人も大勢いたはずなのに。

それから、「ストーリーテリング」は「語り」を英語に訳した言葉でして、「暗誦型だけがストーリーテリングだという誤解」はなんとか解いていってもらえないだろうか、というのが私の願いです。図書館講座であれば、自分の都合の良い資料だけ集めて提示するのはマズイでしょう。「あれもこれもありますよ」というのが専門職としての矜持ではないでしょうか。どうか、同じ間違いを繰り返さないで。

 

 

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