のど自慢番組のこと

かみしばいクラブが発足したばかりのころ、「のど自慢番組みたいだ」と思ったことがあります。日曜日のお昼にキンコンカンコン♪とやっている、あれです。
 皆が不安で、なんとか上手くやろうとして、個性的でした。これで図書館のおはなしのじかんに入れるのだろうかと心配したけど、とってもおもしろいという感じもしました。なにより、やっている人が楽しそうだ。話の合間にトークを入れる方が多かったです。ほんとに演じ方自慢大会みたいでした。
 カラオケハウスみたいだ(実は私は行ったことがない)、と思ったのがきっかけで、翌年カミシバイハウスをはじめました。

 自分のことを思い出しますと、30~40歳のころまで、あの番組が嫌いでした。チャンネルを動かしていて、ちょっとその場面が映ると背中がぞっとして、生理的に受け付けない気持ちになりました。憎しみに近いものがあり、どうしてあんなのやってるんだろうか、とか、番組に応募する人の気持ちが理解できずにいました。
「結婚式なんかで調子っぱずれの歌を酔っ払いながら歌う親戚のおじさん」のパターンは、親戚なんだからいいかみたいな感じですが、若い人までどうしてああなんだろう、と不思議でしかたなかったですね。
けれど、そういう人がこんなにたくさんいる、という現実を思った時、もしかしたらこっちが普通で、自分が偉ぶっている少数派なんじゃないか、という思いがどんどん大きくなったのです。

公共の私物化(中川大臣も公私の区別がつかないんだなー慣れっておそろしいなー)が、どこまでが許容されるんだろうか、というのが私の興味になっています。
会員さんは「他の人のを見て工夫したり修正したりを、自分でするんだな」と納得されて、(演じ方については最初に私が見ますが)ほとんど個別の指導のようなものはされることなくボランティアに出てもらっています。「誰でもそのままで認められる社会を体現するボランティア」かも知れません。
「ここで切った方が・・」「ここで間をとったほうが・・」と思うこともあります。ここでぴしっと指導をすると、指導者として有名になっていくんだろうな、とも思うのですがあんまりそういうことに興味が無いのです。皆さん場数をこなすことで難なくやっておられ、そんなことはたいしたことじゃないと思うようになりました。何より、「皆が上手にやるおはなし会は、つまらない」ということはとても真面目に思っています。
でも、講座では「上手にやる」という部分で説明します。一応。

今、不思議なことに、たまたまその番組がテレビに映ったとしても、全然違和感なく受け止められます。ちょっと口をあけてニヤニヤして見てたりして。
十年くらい前の自分とは、自分が別人になったと感じています。こういうのを、公共というのかな、とも思っています。誰でもそのままで認められる社会ね。
「人間の成熟度」を計る物差しとしても、長く続いて欲しい番組です。キン・コン・・で終わることに、弱者は文句を言わないし、またそうやってカラオケで歌うんだろうね。

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