基本図書の数

何の本で読んだかよく覚えていないのですが、欧米(カナダ?アメリカ?)の図書館の基本図書(児童書の)は300位ある、そうです。
東京子ども図書館の『新・この1冊から』を読んだ時に、「新人が負担に思わないよう」に各ジャンル1冊づつにした、というようなことが書いてあって、「無理に一冊にしなくてもいいのに」と、ちょっと思った記憶があります。

最近、何かの論説で 「最大公約数より最少公倍数を」 と書いてあったのを読み、「これに関係するんだよね」と思いました。

たくさんあるものを、一定の枠の中に入れなくちゃいけない時に、エッセンスを突き詰めて考えて、集約していって、小さい核のようなものを探し当てるという最大公約数の考えが、「この1冊から」という考えに通じていくのでしょう。『ベーシック絵本入門』にも通じます。古典絵本とか読み継がれた本を重要視するという考えも、これに近いと思います。

けれど私は、今回おすすめ紙芝居リストの編集のために提示された紙芝居を眺めてみて、「約していく」より「倍にしていく」ことを選択しました。どれもその人にとっては捨てることのできない作品ですから、それらをそのまま生かして、重複するものは1件にして、そのあと見やすいように分類すればいいことです。不足する特徴のある紙芝居は、付け加えていきました。「好みはあれこれあるだろうけど、このうちどこかに引っかかるだろう」というような思いです。

例えば、大規模学校の1学年に300人位いた時に、良い子の特徴を突き詰めて考えていって1人に代表させるよりも、300人を最少公倍数として、もっと大きい全体像をつかむ方法です。たとえ1万人の子どもがいても、300人の子どもを研究すれば 1万の個性はそのどれかに似ているかあてはまるように思えます。「選び抜かず、排除せず」を念頭に置きました。かつて何かの本で読んだ「付け加えの論理」もこれと同じことかもしれません。

語りの講座でよくある「良いテキストを選んで覚える」というやり方が長く続いて、テキストにする本が固定化している状態も、「約していく」が行き着いた結果でしょう。けれど、複数の本から材料を見つけ出して自分で構成すれば、複数の本が生かされていくようにも思えます。倍にしていく感覚です。
 昔話の理論といって、ある種の特徴を突き詰めて箇条書きにしても、それ以外のものを排除していいはずはありません。以前書いたように、いつのまにか その理論に合ったものの例を引いて「理論に合っている」と満足してしまうような事態に、ちょっと辟易しています。

共通点を見つける楽しみはあるでしょうが、300人の人間の顔形や性格、それぞれを研究して対応しようとすることのほうがよっぽど大事かと思います。

(追記)やなせたかしさんが亡くなったと報道がありました。数多いキャラクターへの広がりを、大切にしていきたいと思います。

 


 

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