図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
ボランティアの無償性
ボランティアは各自の思いに基づいて、無償で活動しています。
お金や労力がかかるのは、
・訪問する(おはなし会をする)時と、
・自分で学ぶ(スキルアップのために本や講座や学習会に参加する)時、
2種類あるので別にして考えてみます。
①訪問活動
対価を受け取ることはありません。特殊技能を使ったり、その他交通費など実費として請求できるかも知れませんが、その辺はとてもあいまいです。基本的に報酬がないけどできる範囲で一生懸命やろう、と思ってやると無理がありません。
②学ぶ活動
学習のために本を読んだり講演を聞いたりすることがありますが、もちろん誰かからお金をもらってすることではありません。
それから、もう一つ重要なことですが、 例えば、有料の講座に行ったからといって、自分にそれだけの見返りを望まないということです。自分だけが情報を持っているのではなく、得た利益(この場合は知的財産)を公共に無償で還元していくのです。
繰り返しますが、ボランティアというのは、例えば1万円払ったからその分自分だけいいことがあるようにと願うことはないわけです。実際に講演を聞けば雑多な情報も得るわけですから、他の人が似たような情報を持っていたからと言って不公平だと思いません。情報の質が違うのだから、それで良いわけですね。惜しみなく、伝えることをします。
1万円支払って情報をとり、そのことで自分が高くなるという錯覚を起こすことがあります。センセイとして特別な地位に立てるとか、学校訪問ができるようになるとか、思っちゃう場合もあります。そんなことはないのだと、自分を律することができるといいですね。
それどころか、有料で講座を受け、参加料は自費だったからとその情報を出さないでいれば、それは自分さえ良ければということで、ボランティアではなくなります。無償で仲間に広めたりすれば、それはボランティアとして対価を求めないという判断に沿っているわけですね。
もちろん講演の中身が良いかどうかはわからないことであり、それは受ける側の判断ですね。「あんた、変なことおしえてくれたじゃない!」と、伝える側を非難できるものではありません。この辺を突き詰めて考えすぎる場合もあるので、まあ、そんなこともあるのねという、お互い様のお気楽精神でやっていけばいいように思います。
講演は、教える教わるでなく、情報を受け取るものになってきていると思うと自立できます。その情報は「知的財産カード」でしかないわけですから、適当に使ったり使わなかったり、中身を疑ったり感化されたり、人それぞれでいいということです。
混乱しそうになったら、「自分さえ良ければ」の世界に行かないように、自分で自分の立ち位置を常に見直していけばいいような気がします。
手づくり紙芝居でも、できたものを自分たちだけの財産にして、それを使って何がしかの対価(有形無形どちらでも)を自分たちが得ようと思っている限り、ボランティアの概念からどんどん離れていきます。「あんまり人様に見せるもんでない」と思う場合もあるので一概に言えないのですが、「こんなの作ったんだけど、どうですか?」ぐらいの気持ちでいいと思います。
お金や労力がかかるのは、
・訪問する(おはなし会をする)時と、
・自分で学ぶ(スキルアップのために本や講座や学習会に参加する)時、
2種類あるので別にして考えてみます。
①訪問活動
対価を受け取ることはありません。特殊技能を使ったり、その他交通費など実費として請求できるかも知れませんが、その辺はとてもあいまいです。基本的に報酬がないけどできる範囲で一生懸命やろう、と思ってやると無理がありません。
②学ぶ活動
学習のために本を読んだり講演を聞いたりすることがありますが、もちろん誰かからお金をもらってすることではありません。
それから、もう一つ重要なことですが、 例えば、有料の講座に行ったからといって、自分にそれだけの見返りを望まないということです。自分だけが情報を持っているのではなく、得た利益(この場合は知的財産)を公共に無償で還元していくのです。
繰り返しますが、ボランティアというのは、例えば1万円払ったからその分自分だけいいことがあるようにと願うことはないわけです。実際に講演を聞けば雑多な情報も得るわけですから、他の人が似たような情報を持っていたからと言って不公平だと思いません。情報の質が違うのだから、それで良いわけですね。惜しみなく、伝えることをします。
1万円支払って情報をとり、そのことで自分が高くなるという錯覚を起こすことがあります。センセイとして特別な地位に立てるとか、学校訪問ができるようになるとか、思っちゃう場合もあります。そんなことはないのだと、自分を律することができるといいですね。
それどころか、有料で講座を受け、参加料は自費だったからとその情報を出さないでいれば、それは自分さえ良ければということで、ボランティアではなくなります。無償で仲間に広めたりすれば、それはボランティアとして対価を求めないという判断に沿っているわけですね。
もちろん講演の中身が良いかどうかはわからないことであり、それは受ける側の判断ですね。「あんた、変なことおしえてくれたじゃない!」と、伝える側を非難できるものではありません。この辺を突き詰めて考えすぎる場合もあるので、まあ、そんなこともあるのねという、お互い様のお気楽精神でやっていけばいいように思います。
講演は、教える教わるでなく、情報を受け取るものになってきていると思うと自立できます。その情報は「知的財産カード」でしかないわけですから、適当に使ったり使わなかったり、中身を疑ったり感化されたり、人それぞれでいいということです。
混乱しそうになったら、「自分さえ良ければ」の世界に行かないように、自分で自分の立ち位置を常に見直していけばいいような気がします。
手づくり紙芝居でも、できたものを自分たちだけの財産にして、それを使って何がしかの対価(有形無形どちらでも)を自分たちが得ようと思っている限り、ボランティアの概念からどんどん離れていきます。「あんまり人様に見せるもんでない」と思う場合もあるので一概に言えないのですが、「こんなの作ったんだけど、どうですか?」ぐらいの気持ちでいいと思います。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 自分の見方で | 違うセンスで » |
コメント |
コメントはありません。 |
![]() |
コメントを投稿する |
![]() |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |