語り癖を直さない

午前に投稿しましたが、午後に・・・内を追記しました。
・・・ボランティアを縛っている言葉があります。最近のボランティアさんは知らないかもしれないけれど、その新人を指導する絵本講師がその言葉に縛られている。だから異様に読み方の講習回数が多い。もう時効でしょう。あとで「紙芝居の窓」に書きます・・・・

当会の大きな特徴の一つに、語り方を指導しない、ということがあります。入会時に、「指導者はいませんから」「現場が研修」と何気なく言いますし、皆がなんとなくわかっているところがあります。

 会によっては、入会時に会員たくさんの前で読ませて、それぞれに意見を言ってもらうというスタイルをとっているところもあります。また、事後の反省会で指摘したりもします。それが「新人のため」「お互いのため」でもあるという考えもあり、自ら「自分の悪いところを客観的に指摘してくれて、ありがとう」という感覚になることもある。それは、それぞれのやり方です。
しかし、新人本人にとって本音のところで「こわい」という面もあります。

 私の感覚を言いますと、自分が長くやっていればいるほど、他の人のつたないところが気になるものです。ここで切ればいいのにとか、ここはもう少し持ち上げればいいのに、と、とてもはっきりわかる。「こうすればもっと良くなりますよ」と指導するのが一般的でした。上手い指導方法として広く行われています。人間ですから、私もつい、口をついて出ることもあります。
 
 結果として、当会は演じ方が下手だ、と言われているかも知れない。だれも指導を仰ぐ先生がいないんじゃないか、なーんだ、あそこにいても上手くならないよ、という具合。朗読のベテランもいますので、うまい方は何人もおられます、はい。驚いたことに、うまい方も他の人を指導しようとしない。驚くべき精神力ですね。これはもう、人生のベテランでもある。

 最初に、私は、一回は聞くようにしています。感想を何も言わないか、「はい、いいです」で済ませます。新人さんはそれで安心するみたいですね。全然こだわりなく、どこの訪問先にも自分の意志さえあれば行ってもらうことにしている。会員さんたちそれぞれは、褒め合ったり(上手に褒める人がいるんだな、これが)しています。

 個別には言いませんが、全体に向かって「絵に合わせて語るようにしよう」とは頻繁に言うかもしれませんね。ほとんど空気となって消えるのですが。定例会では、操作についてや、道具、運営、段取り、などについて意見や感想がたくさんでます。

 それぞれの個性を生かすならば、自分が自分を作るのが一番いいような気がしています。どのように指摘するかと構えないで、思ったことを言えばいいだけでして、それを相手がどう思って取り入れるか取り入れないか、そんなことはどうでもいいことと、気にしないようにしています。
 だから、指導したい人はいろいろ言ったあとで、「でも、これは私の考えでしかないからね」とくっつければいいわけです。 そうすれば、受けた側は、自分主体に視点を持って行ける・・・と思う。

 語り方や語り癖は、「道具」の一種類でして、それがみんな違うことが、おもしろさに繋がります。つまり、「一律に上等な道具を並べるか」か「いろんな段階の道具を並べるか」の違いでもあります。
図書館の本も「一律に上等な本を並べる」より「いろいろな段階の本を並べる」のがいいんじゃないか、と思って言い続けています。
私は、絵本の読み聞かせも集団相手は「紙芝居」だと思っているので、同じように語り方の指導をしないで、いろいろな道具を並べるのが一番いいかと思います。そのために人は、現場でね、いろいろ感じてもらえればいい。皆が気楽にできます。

 
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