いつまでも語り手で

9月13日 新潟日報の「窓」に88歳の方の投稿がありました。

長く読み聞かせの活動をしていたので、今、福祉施設に入居しても紙芝居をして皆さんに聞いてもらっているという内容でした。長岡の女性です。

そうです、それで行きましょうよ。語り手はいつまでも、どこにいても語り手に。また、いつ、どんな方法でも語り手になれる、そういう世の中がいいですね。
私たちが訪問するまでもなく、施設内の方、職員さんばかりでなく、そこの利用者さんがお互いに語りあって楽しめる方向で。(訪問してもいいけど)
 すでに、新潟市でも職員さんが図書館でたくさんの紙芝居を借りてきてやっているところは結構あるようです。

 もう一歩進めて、下手でもいいですからやってみませんか、と利用者さんにお勧めすればいいんです。元気な方はたくさんおられます。
広いテーブルを数人で囲むようにして、舞台をそこに乗せて(それより高くする必要はありません)適当に読めばいいんです。なんと素敵なことではないですか。ひとつ読んだら、舞台を動かして別の人が読む。円卓でみんなが座ったまま聞きあう。
舞台は、簡単に作れます。このブログは毎日誰かが「紙芝居舞台」で検索して見に来ていらっしゃいます。ホントこれにはびっくりですね。

・・・昔、だんだん語りという、子どもが輪になって語り合う場所があったといいます。それのシルバー版ですね・・・

職員さんも一人いれば用が足りる。皆さん忙しいものね。照明は、あってもなくてもかまいません。2週間にいっぺん、あるいは団体登録をすれば1か月にいっぺん、適当に図書館から紙芝居を持ってくればいい。

それから、同日、生活面に雨宮処凛さんのエッセーがありました。どうかボランティアの皆さん、講師の皆さんに聞いてほしい。
「やる気をアピールし続けていかなくてはならないと思った時期があって、他人の失敗を許せなかった。それをやめると他人の失敗への怒りはなくなった」というものです。今、失敗は幾ら幾らの損失、などとカウントされるけれど、命にかかわるものでなければ笑って済ませられる世の中にしていきたい、ということ。
 本当にそのとおりで、ボランティアは山から下りて気楽にと、私も一生懸命言っています。読み聞かせ講座を、真剣に長々と受ければ受けるほど他人の失敗が受け入れられないボランティアが増えていきます。
 下手に読んでも、意味不明の本を持ってきても、何の命にかかわるものでしょうか。それよりも、不完全を楽しむ世の中になるほうが暮らしやすいよね。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 語り癖を直さない 舞台落下 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。