図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
AI 時代に対応して 読み聞かせ講座に望むこと
2024-09-23 / 資料
読み聞かせボランティア入門講座に望むこと
石倉恵子
① 最近はAIが発達し、これからは家でも外でも平明なAI音声を聞くことが増えると思われる。そうなったときに、人間がAIと同じに静かに読むことを推奨されては、せっかくの生身の人間が読む価値がないと考える。
② 何をどのように読むかは、憲法にある表現の自由に関係する。読み手は本を表現しようとしている場合がほとんどで、それを黒子のように静かに読めというのは憲法にも反すると思われる。線引きは公共の福祉に反する時のみにしてほしい。
③ 本は人より偉い、と30年前に受講した石倉は聞いた。本の額縁のような読み方をと指導する資料もある。しかし、私は、人が本の下僕になることには大きな疑問を持っている。出版物が少なかった戦後すぐならまだしも、今は多様な情報を自分で取捨選択していく時代だ。「人間の表現を感じるための手段」として本や読み聞かせを利用するという考えもある。絵本は本来自分で黙読してこそ良さが分かることが多いので、声に出して数メートル離れて読み聞かせる利点とは、「人が本を利用し、その時の表現の多様性を見せること」であり、人が本に利用されるべきではない。
④ 読み方が上手いということは、逆に見ると個性がない、ということだ。個性を消した大人が子どもの前に立ち、子どもは各々の個性を消すのが正しいと思うようになる。結果として異端を排除し、多様性を否定し、子ども同士いじめ合うような状況になっているのではないか。30年前からの松岡享子氏の教則本が、子どもの首を絞めてきたと感じている。なぜ図書館がその教則本を客観視できなかったのか、批判していきたい。
⑤ 現在、読み聞かせボランティア団体によっては2か月前に本を確保し、プログラムや読み方を検証することを良いこととして話すのを石倉は何度も聞いた。しかし、そのやり方では、個人貸し出しと団体貸し出しを続けて1か月以上、自分のものにしておかなくてはならない。図書館はそれを良しとするのだろうか。行き過ぎた指導が、練習量を増やし、長く借り続ける原因になっている。
とくに「A」という団体の実質トップは教育委員会の委員になっているが、その所属会員は「同じプログラムで複数個所やる」と言っていた。そのため会員は長く借りる必要がある。また、その委員は朗読が得意で長くやっていることをたびたび発言し、石倉はそれを聞いている。読み方にも朗読的平明さが必要とされることだろう。会員である弱者が、後ろ盾としたい強者(その委員)におもねるのは、ここでも現れている。これを修正するために、読み方への指導やプログラムの作り方を転換するのが入門講座の第一歩ではないだろうか。委員の資質にも疑問を呈したい。
⑥ ①~⑤を総合し、講座での別の方法を提案する。読み手への批評を図書館職員がするのではなく、「自分はどう工夫して読んだか」を自分で説明するような方法はどうか。読み方の良しあしではなく、本や人の個性を見つけて、それを育てる言い方が必要だ。「最初だから体験するだけ」と常に図書館は仰るが、それらを総合して受講生に体験していただきたい。 以上
石倉恵子
① 最近はAIが発達し、これからは家でも外でも平明なAI音声を聞くことが増えると思われる。そうなったときに、人間がAIと同じに静かに読むことを推奨されては、せっかくの生身の人間が読む価値がないと考える。
② 何をどのように読むかは、憲法にある表現の自由に関係する。読み手は本を表現しようとしている場合がほとんどで、それを黒子のように静かに読めというのは憲法にも反すると思われる。線引きは公共の福祉に反する時のみにしてほしい。
③ 本は人より偉い、と30年前に受講した石倉は聞いた。本の額縁のような読み方をと指導する資料もある。しかし、私は、人が本の下僕になることには大きな疑問を持っている。出版物が少なかった戦後すぐならまだしも、今は多様な情報を自分で取捨選択していく時代だ。「人間の表現を感じるための手段」として本や読み聞かせを利用するという考えもある。絵本は本来自分で黙読してこそ良さが分かることが多いので、声に出して数メートル離れて読み聞かせる利点とは、「人が本を利用し、その時の表現の多様性を見せること」であり、人が本に利用されるべきではない。
④ 読み方が上手いということは、逆に見ると個性がない、ということだ。個性を消した大人が子どもの前に立ち、子どもは各々の個性を消すのが正しいと思うようになる。結果として異端を排除し、多様性を否定し、子ども同士いじめ合うような状況になっているのではないか。30年前からの松岡享子氏の教則本が、子どもの首を絞めてきたと感じている。なぜ図書館がその教則本を客観視できなかったのか、批判していきたい。
⑤ 現在、読み聞かせボランティア団体によっては2か月前に本を確保し、プログラムや読み方を検証することを良いこととして話すのを石倉は何度も聞いた。しかし、そのやり方では、個人貸し出しと団体貸し出しを続けて1か月以上、自分のものにしておかなくてはならない。図書館はそれを良しとするのだろうか。行き過ぎた指導が、練習量を増やし、長く借り続ける原因になっている。
とくに「A」という団体の実質トップは教育委員会の委員になっているが、その所属会員は「同じプログラムで複数個所やる」と言っていた。そのため会員は長く借りる必要がある。また、その委員は朗読が得意で長くやっていることをたびたび発言し、石倉はそれを聞いている。読み方にも朗読的平明さが必要とされることだろう。会員である弱者が、後ろ盾としたい強者(その委員)におもねるのは、ここでも現れている。これを修正するために、読み方への指導やプログラムの作り方を転換するのが入門講座の第一歩ではないだろうか。委員の資質にも疑問を呈したい。
⑥ ①~⑤を総合し、講座での別の方法を提案する。読み手への批評を図書館職員がするのではなく、「自分はどう工夫して読んだか」を自分で説明するような方法はどうか。読み方の良しあしではなく、本や人の個性を見つけて、それを育てる言い方が必要だ。「最初だから体験するだけ」と常に図書館は仰るが、それらを総合して受講生に体験していただきたい。 以上
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