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思誠寮には女子寮が併設されていた。男子寮ほどではないが、かなりのオンボロで、花の女子大生が暮らしているとはとても思えない殺風景な建物である。
併設とは言っても少し離れた場所にあり、女子寮生たちは男子寮の食堂まで朝夕の食事をとりにやって来る。また寮祭などのイベントでは、女子寮生は3つのグループに分かれ、南・中・北のいずれかの男子寮生と一緒に活動をした。写真は寮祭での音楽会の風景。このときは女子寮生だけで合唱をしている。
女子寮生が出入りすると、当然のごとく男子寮生は色めき立つ。特に新入生が入ってきたときには「誰それが可愛い」などといった話題で持ち切りだった。しかし、寮生同士のカップル成立といった事例は意外と少ない。僕は後輩の女子寮生と親しい関係になり、結婚までしてしまったが、こういうのはどちらかと言えば稀なケースだと思う。
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僕が3年生の時のことだ。当時新入生だった彼女は大学から「ほかほか弁当」のアルバイトに直行し、それが終わってから僕の部屋へよく遊びにやってきた。僕は同室者のT君といっしょに、彼女が持って来る残り物の弁当を楽しみに待った。特に夏季休暇中などは寮の食堂が休業となるので、自炊か外食をするしかない。タダでありつける弁当は天からの恵み物みたいに有難かった。
僕と彼女とT君は、小さなテーブルの上に幾種類かの弁当を広げ、ままごとみたいな感じで、つつましい夕食の時を過ごした。弁当が余ったときには、近くの部屋から友人を招いてお裾分けをした。やがて僕の部屋にはハイエナのような連中が群がるようになり、僕といっしょに彼女の来訪を今か今かと待った。その光栄はまさに、給餌を待つ豚小屋みたいなものだった。
中には「今日は遅いじゃないか。おまえ、迎えに行って来いよ」と僕に命令する者や、「なんだ、海苔弁か。から揚げとかトンカツはないのかぁ」と贅沢をいう者もいた。まったく自分の立場をわきまえていない。この部屋の主である僕でさえ「弁当屋のバイトのヒモ」という苦しい境遇なのだ。そのまたヒモの分際で偉そうなことを言うとは、誠にけしからん。(笑)
念のために付け加えるが、僕は残り物の弁当欲しさに彼女と仲良くなったわけではない。その証拠に、彼女が弁当屋のバイトを辞めてしまったあとも、僕と彼女との関係はずっと続いていた。例のハイエナ連中は、ただ弁当だけの繋がりだから、もう僕の部屋へ顔を出すことはなかった。
同室者のT君はたいへんよくできた人で、彼女が部屋へやってくると三人での会話を適当に楽しみ、頃合いを見計らってはどこか別の部屋へ出向いて、僕たちに二人の時間を与えてくれた。現在彼は某国立大学の教授。何年か前、大津で学会があったときに我が家へ立ち寄ってくれた。三人で食事をしていると、当時のことを思い出し、ほんとに懐かしい気持ちになった。
思誠寮というアナクロニズムの権化みたいな硬派集団の中にして、僕はひとりの女子寮生と出会ってから、極めて個人的な生活を送るようになった。それでも仲間外れに扱われることなく、楽しい寮生活をシェアさせていただき、今なお親しく付き合ってくれる寮生の仲間たちに深く感謝している。
今回は女子寮のことを書こうと思ったのだが、女子寮生の生活実態がよく分からず、結局は個人的な話になってしまった。あしからず。
(続く)